小林康夫・船曳建夫【編】「知の技法 - 東京大学教養学部”基礎演習”テキスト」(1994) | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

養老孟司教授が「こんな本なんか売れやがって…」とブツブツ言っていた東京大学教養学部で実際に使用されるテキスト。大手書店で売っているから、購入してみた。1994年2月に出版され実に30万部のセールスを記録。こんな専門書が30万部も売れるなんて凄いと思いませんか。

 

 

肝心の中身としては、学生自らが体得する作法を学ぶ書である。つまり養老孟司教授が散々、述べていた通り”方法論”に終始している。これは学術書ですもん。私がよく読書感想文的な感じで投稿している新潮新書とか文春新書とかPHP新書とか講談社現代新書など、とは次元が違うのである。一見パラパラめくってみるだけだと、何を言っているのか、よく分からない。だから何度も読み返してみるが、数学の代数とか定数とか、どうせ、みんな覚えていないでしょ。ところで、なぜ売れたか。それはビジネスパーソンの必読書として売れたわけですな。分かる?

 

 

大学で学ぶということは、問題の立て方、認識の方法、論文の書き方、発表の仕方など、学問という行為を構成しているさまざまな知の技法を習得することでもあります」などと書かれている。しかし、こういったノウハウを敢えて硬筆に書かれているわけではなく、東大の教授らが書いた本にしては、意外に、講義のライヴ構成のごとく、平易な文章で書かれている。だから、ビジネスパーソンにも受けたのだろうな。

 

 

この本は1994年2月に出版されていて、当時で言う「初年次教育」が重要だった。では…1994年で大学生になる年齢とは、一体、いつのこと?

 

中野信子先生(1975年生まれ)

 

たぶん、現役なら、この年代だと思う。1994年で誕生日が来れば19歳になる年齢なら、1975年生まれ。養老孟司教授が言う「若い人」とは、この年齢のことを特定しているわけではないが、大学の講義に対する姿勢が変わってきたのは、恐らく、この頃からだろう。そして以前には、中野信子先生自身も、実際に「1970年代生まれは良い意味でも悪い意味でも突出している」という。一浪なら1974年生まれ。二浪は1973年生まれ。事実として、この年代で、いわゆる「天才とバカは紙一重」を挙げるとするなら、キリがない。1960年代生まれは、オウム世代の人たちだ。

 

イチロー(1973年生まれ)

松井秀喜(1974年生まれ)

中田英寿(1977年生まれ)

中川淳一郎(1973年生まれ)

西村博之(1976年生まれ)

堀江貴文(1972年生まれ)

 

原因は1970年代生まれの親が子供だった時、悪い子供だったから。もちろん全員が当てはまるわけではない。だけれども、親子が30歳差と考えれば、東大全共闘の人たちだともいえる。戦後はそうやって、最近の若者と自分の都合のいいように解釈しながら、世の中の悪化を他人に押し付けてきた。選挙にも行かないで、文句ばっかり言う日本人の特徴は、学習能力のなさといい、恐るべきものがある。だからなのかな。

 

 

親子で考えるべき問題を次々と後回しにしている。時に「知の技法を自助努力で習得するなんてあり得ない!」という人がいるけれども、私的には決してそんなことないと思っていて、だから、昔のウルサイ集落があった。それが良いとは言っていない。そういう面もあって、ムラ社会は成り立っていたということ。変な奴が集落から出てはいけない。しかし、この本を良しとする人は、たぶん…近現代社会に慣れ切ってしまった。

 

 

ぬるま湯に浸かっていたいるだけでは、そういう世界しか見ていない。無理して自然に出ろ!とも言っていない。やっぱり、こういう世界を作ったからには、もう後戻りなんて、なかなか出来ないんだろうな~と思う。それでも、人工植樹だったり、明治神宮のような場所もあって、明治期までは、ちゃんと出来ていた。江戸時代にもう都市化しているから、中国の儒教が必要だったんだろうけど、いつの時代にあっても難しい問題に変わりはない。でもだからって、逃げることだけは、社会から自分を背けることであり、だから人間関係の苦手な人が増えた。事実を知ろう。

 

 

ちなみに、20年後の2014年には『知の技法 入門』が出版された。この時点で、良いか悪いかは断定できない。中身すら読んでいない。もともと本を読むのは、それほど好きではなく、養老孟司教授がいろいろ紹介したようなモノ。アレコレとコロナ禍で読んできて為になってみるのだ。

 

【ニューソース】

東京大学出版会 公式サイト

河出書房新社 公式サイト