本郷和人「歴史のIF(もしも)」(2020) | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

以前には同じ扶桑社新書で『空白の日本史』(2020)が出版された。それ以前には中公新書ラクレで『上皇の日本史』(2018)も近年、出版された。日本史的には天皇と切っても切れない関係にあり、私が「天皇はどうでもいいし関係ない」というと年齢で差別する人も実際いたのだが、歴史家ほど私に近い考えであることは、読んでいる人ならすぐ分かると思う。だって天皇が神道になったのは明治維新後だしね。もともと天皇ったら仏教徒ですよ? だから「上皇」「法皇」と地位が高まっていった。ただの天皇でも出家した人物に対しては頭を下げる義務がある。コレ実は、現代人はピンと来ないと思う。だから日本って、明治期以降それだけ欧米化が進んで西洋近代的自我が染み付いてしまったのである。

 

 

歴史の中で「IF」ということは中学生・高校生程度で語り合えたとしても、歴史家の間でタブーにされてきた。そのタブーを本郷和人教授が今、解禁しようというわけ。例えば太平洋戦争において、もっと早く降参できたた、沖縄戦に突入することはなかった。戦力は圧倒的なので、どこかですべて敗北だとしても、身体表現や身体所作の悪い意味での意識や、教育「天皇=神」というのがあったため、途中でやめることができなかった。これは不運でかたずけられるようなものではないが、時に過去の動乱において「不運」としか言いようのないモノもかなりあるのだ。

 

もしも石橋山で梶原景時が「源頼朝を見つけたぞ!」と叫んでいたら。コレ実は冗談抜きで、源頼朝が危ない時だった。伊豆国から真鶴港まで連れて行き、逃れることが出来た。そして到着したのが千葉県・房総半島で、現在の館山市あたり。嬉しいあまりに「X JAPANは永遠だ!」と叫ぶところ…いやそれは私か。変ですね。平家の子孫が土着した三浦半島の「三浦氏」に加えて房総半島の「千葉氏」がウヨウヨいるところに流れ着く。実はどうやら源氏と平家は「長年のライバル」ではないようなのです。立て直しを図れなかったら、鎌倉市が発展していなかった。

 

 

源頼朝が亡くなると、カリスマがいなくなったので鎌倉幕府2代目将軍・源頼家は、本当は信用を得なければいけないはずだった。例えば家同士で境界線を揉めるとしますね。すると源頼家は机上の空論で図面に線を1本まっすぐ引っ張るだけなのです。日本の地形はご存知の通り、田畑があり、川があってくねくねと曲がっている。そこに真っ直ぐの線を引っ張るだけなら、解決にはならない。そもそも源頼家の母親と言えば北条政子。源頼家が入浴した後、妻・子供・舅がいなくなっている。北条氏に皆殺しにされた源頼家は愕然とする。そして伊豆半島にある修善寺に幽閉される。こうして世の中から2代目将軍は死んだこととなり、抹殺された。入浴中に睾丸を刀で斬り落とし、痛がっているところを殺されてしまった。北条氏のしたたかな戦略が活きているわけですな。そもそも、あたしなんか睾丸なくたって性転換して生き延びるわよ~う(裏声)!…という話は置いといて、なぜ伊豆半島かと言うと…天城山の南に「天城越え」で有名な天城峠があり、北が北条氏の地元だから。

 

 

モンゴル襲来で有名な「元寇」がある「文永の役」と「弘安の役」だが、実は「神風」は二回も来なかった。1回目の「文永の役」は、実は偵察だけで終わったのが今現在の有力説。つまり「神風」を空論的に起こし、日本人に天皇崇拝を植え付けるためだった。教育、冗談抜きで変わらないとダメ。そして二度目の「弘安の役」だが、実はモンゴルってそれほど日本を欲しがっているわけでもなかった。中華思想に倣ったモノはあっても、日本なんて海を隔てた向こうにあるわけだから、船の行き来だけで今でいう政治資金がバカにならない。それより文献を広めてモンゴル風の中華思想を植え付けるためだったから、戦わずして良かったのに、なぜ戦いが起きたかというと、鎌倉武士は身体所作の時代であるためか、文字が読めなかった。つまり「アタマが悪い」のである。それならモンゴル人は「日本人はやっぱり野蛮人じゃないか!」となったので、戦わざるを得なかった。でも二度目に本当に神風が起きたのは幸運で、身体所作のわりに当時の鎌倉武士は日本軍として貧弱なぐらい弱かった。太平洋戦争でもそうだが、やはり身体所作が悪い意味で意識されたために特攻隊として突っ込まなければならなかったのである。

 

 

足利尊氏はウジウジ尊氏。後白河上皇と仲良く出来なかったのはそこ。本当は好きだった。だけれども征夷大将軍を貰っておけばいいわけで。邪魔なら後白河上皇を出家させて後白河法皇になればいいのだから。とはいえ、息子を認めなかったのは、認められるいわれはない、ということにあるだろう。三男・直冬はどうしても自分の子供ではない。だから弟の足利直義に譲った。譲るといっても「アニキ!なら俺が育てようか?」みたいな”ノリ”だったらしい。そんなものだろう。歴史はあまりに美化しすぎて期待が膨らむが…実際にはその程度だったのであろう。

 

 

最も天皇に近かったのが室町幕府3代将軍・足利義満。なんたって「日本国王」を国内外に示している。これがキッカケで天皇は「エンペラー」と訳され、将軍は「キング」と翻訳され、現在に至っている。中国や韓国はいまだに「いいなあ~!」というらしいが、本当のところどうなんですかね。後から天皇を作ることは出来ない。でもやめさせることは可能だと何度も脅し、現在も、天皇家は国家の都合で動かされているわけだ。

 

 

浅井長政が織田信長を裏切らなかったら、間違いなく織田信長の天下だっただろう。しかし「ミスター・サイコパス」織田信長は数々のブラック政治を敢行し、家臣の信頼を見事に失っていくのである。明智光秀に激高して足蹴り。これが決め手かどうかは定かでないが、耐えに耐えかねていた明智光秀は「討っちゃったテヘペロ事件」ともいうべき本能寺の変を起こすのである。この時に織田信忠が逃げていたら、やはり織田家の天下で、征夷大将軍・織田信忠が誕生したのは間違いない。しかし、逃げたのは茶人の織田有楽斎(有楽斎から「有楽町」と名付けられた)で、この時に女装していたという。姿形まで変えて必死こいて逃げた。のちに徳川家康の家臣となるが、なんだか「睾丸なくなる事件」が多発するなあ。日本史上で最も日本男児として気合いや根性を植え付けられたのは…やはり太平洋戦争か。本当につい最近までなんだよ。

 

 

※注:イメージ

 

男性陣の方々、女装したことあります? ないですよね。私あるんですよ。九州の同い年の従姉妹に半分、騙されつつ試してみたってところ。九州の同い年の従姉妹と東京の従妹と私は顔がソックリなので、大学でアニメのコスプレで使ったような衣装から何やら試しに着せられてみて、行くところまで行った結果なのです。そこからは当然、外に出てみる。戦国時代と違って人口密度が半端ない現在の都市部で、必ず人に会うわけ。地下鉄に乗っても、いつか痴漢されるんじゃないかとハラハラドキドキしながら(もちろんイヤという意味で)。デパートに行ってもレディース・フロアを堂々と歩ける。店員さんに「双子の姉妹さんですか?」と声をかけられる。仕方ないからコクコク頷くのみ。私はもともと喉仏が出ていないので、姿だけでバレないのだが、声を出したら異様だよね。ましてトイレ行くって、男子トイレでスカート捲り上げて立ってしてたら変でしょう。従姉妹が出入り口で待っていてくれた。もうここまで来たら女子トイレの個室に入るっ! 女性陣はトランスジェンダーなら大丈夫ですよね。そういうことなんですよ。男性と女性との境界線がなくなると、自然と女性に寄るんです。一言でまとめると「中性=女性」なんですね。

 

 

でもこういう話題、次の「豊臣秀頼が女の子だったら」にも関連するんです。日本は「血縁よりも家制度」です。今現在のように女性が家を継ぐ資格というのはありませんでした。そうすれば豊臣秀吉は甥・秀次に渡したかもしれない。こうなった暁に幕府を開いたら「首都・大阪」「天皇・京都」だったに違いない。こういうの私的には現代人だけに考えられません。伯父の医師仕事はいちばん上のお姉ちゃんが次ぐ予定です。結婚相手は婿養子として入ってきています。我が家は私以外、全員、姉妹の家族。歴史のように母方の方まで広げてみても男子は一人で全員が女。男だけに継がせていたら、潰れてしまいます。こういうのを古臭いという人もいるかもしれませんが…継がせられるなら、同意しますよ。

 

上杉軍が退却していく徳川軍の背中を襲っても、やはり「西高東低」は変わらなかったでしょう。背中を狙うのは武士の恥。島津軍なんて徳川本陣にぶつかっていく形で退却したため、犠牲者が多数出ました。時には「ひきょうだぞ…ぐふっ!」ということも必要なのかもしれませんが、現代人にないのは、こういう良い意味での美意識なんですね。インターネットばかりやっていると、自分の都合でしかモノを考えられなくなるそうです。つまりバカになる。別にインターネット自体を否定はしていません。むしろ”使い方”なのです。主張なんて、本当は誰も聞いていない。

 

 

現代人にも相通じる武将・毛利元就。この人はのちに吉川家(きっかわ)を残した。何が言いたいか分かりますか? つまり毛利元就の子孫は小早川隆景とかだけではない。落語家・噺家として有名な5代目・三遊亭圓楽師匠、彼の顔は顎が突き出た馬顔なので、毛利家の子孫によく似ている。苗字は吉川(よしかわ)であり、実際に、この代目・圓楽師匠の家柄は毛利家から小早川家と繋がった吉川家から出ているわけ。

 

 

毛利元就の三男が現・福岡市の小早川隆景。九男が現・久留米市の小早川秀包(小早川隆景の次男)。吉川家は毛利元就の次男・元春からであります。その毛利元就の孫である毛利輝元。この人もまた毛利元就以上に現代的。つまり「自分さえよければいい」「今さえよければいい」「インターネット(机上の空論)」「自意識過剰」「家族だけ生き延びる(他者は死んでも何とも思わない)」という人。この人が大坂城に籠城したら、間違いなく、これまた徳川家康は天下を取れなかったでしょう。せっかくの「首都・大阪」「天皇・京都」という美意識の歴史を自ら捨てた。

 

 

徳川家康に背いたとか以前に、徳川家康に騙されて土地を失う。米作りの術を失うんです。今現在の人は、歴史とか言って、ぶっちゃけ「歴史=日本史」という学問だと思い込んでいる。こういうのって中国の『孫子の兵法』ではないけれど、昔の人がよく言った「他人のフリみて我がフリ直せ」ですよ。面白いのは、高校生の子供を持ついい歳こいたオッサンがインターネットにほぼ毎日、出てくる。インターネットって、孤独な人がやるものです。世の中で信頼されている人がやっているわけではない(すべてではありませんが)。人間嫌いだからインターネットに執着するのであって、あれだけ偉そうに言っておきながら「相談です」とか言って笑ってしまう。そんなもん自分で考えろよ。てか、どうしてもなら相手のところに行く。動く。私なら、相談といえば、千葉公慈住職とか、井上広法副住職とか、釈徹宗住職とか、大阿闍梨のところでも行きます。

 

 

高校生の子供がいるってビックリしましたね。3歳ぐらいと同等レベルだから、子供は幼児しかいないと思っていた。それだけ精神年齢が低くなっているんです。だってその人「相手を変えるより自分を変える」とか言っておいて自ら動かないから、もう爆笑モノ。自分で口先では言えるんだけど、動かない。動かないというより動けないから、結局は自分で何もできないってことでしょ? それ毛利輝元とまったく一緒だから。こうして昔の人を見て現代人は我がフリを直すべきなんです。その程度の人間なんです。世間体では、人間なんてその程度でしかないんですよ。

 

 

ソフトバンクの孫正義と楽天の三木谷浩史。この二人がいなくても、ある程度、大きくしたからカリスマがいなくなっても潰れない。株券がある。そのための市場経済なんです。日本人がよく考える「自由=好き勝手」という意味ではない。株券はそもそも何か?すら知らないでしょう。あれは借入金です。株主からお金を借りて、儲けを分け与える。つまり会社中心であり、本来の会社は従業員が輝くためにあるもので、働くのは顧客のため、であるのです。別に昔のアメリカみたいに黒人奴隷のような立場ではない。これが健全な会社組織・経済圏の姿なのです。

 

ブラック企業は健全ではない。そんなもん高橋まつりさんみたいになるぐらいだったら、いっそのことコチラから身を引いて辞めるべきなのです。どうせ日本社会自体が健全でないの分かっているでしょう? 世間がしっかりしていないって、言いだしっぺは養老孟司教授ですから。私ではありません。つまり戦後ずーっとそうやってきたのです。日本人はすべてを「事なかれ主義」で済ませてきた…太平洋戦争も同様なのだ。

 

インターネット

 

順位競争

 

ああ気持ちいい

 

分かります? 太平洋戦争で自信を無くした日本人が「日本スゴイ!」の果てに行きついたのが、インターネット内での競争。なぜ架空の世界で競争が始まるか分かりますか? それはリアル社会で負け続けているからです。そういう風にすぐピンと来なくてはダメ。本当に良い人は、リアル社会でも好まれます。リアル社会で好まれない人が、インターネットに夢中になる。私もインターネットに来ていますが、夢中ではないね。

 

 

そのあたり、日本列島以上によく知っているのが沖縄の人たちでしょう。もともと琉球王国で、歴史的に中国か、アメリカか、それとも日本か、というどっちつかずの歴史を繰り返してきた。別に他者と争うつもりはない。よって軍備増強・軍備拡張できなかったから、やすやすと占領されてしまう。だけれども本当の平和とは、そういうことなのです。これはエピローグでありながら最初に戻るのですが、やはり近現代においては、沖縄なしでは語れません。あの人たち、どう見ても日本人っぽくない。約束を守らない。ルーズ。でもケンカすることはほとんどない。ちょっと遅れただけでも謝ることなどせず「友達来たさー!」と言われれば、じゃあしょうがねーな、となる。別に悪く言っていません。そういうことも重要。

 

 

日本列島の人たちは、沖縄の人たちを苦しめたという自覚はないんだろうね。自分も行かなければならない。それならば戦後に岸信介が当選したのは何だったんだろう。A級戦犯を当選させたわけですからね。当時はまだ左派系・革新系が強く、東京・横浜・川崎・名古屋・大阪・神戸・福岡あたりの都市部ではブレーキがかかっていました。今現在はむしろ逆行している。おまけに嘘つき安倍晋三やミスター独裁者・菅義偉が国債発行をやめずに刷り回して「不妊治療の保険適用」とか言ってる。借金までしなくてやる必要はない。借金返済にどれだけの年数がかかると思っているんだ。結局は国が勝手につぶれるのではなく、国民が敢えて国を潰しにかかっているようなものだろう。てか君たちアホ?

 

 

自分事だと思っていないから国政に行かないんでしょ? でも「国政=沖縄の問題」であることを分かっているから、沖縄県の投票率は高いんです。むしろ選挙投票率が低いのは関東地方よりも近畿地方のような気がしますが、京都だけは別です。問題は大阪。大阪都構想だけは熱が入るけど、国政になると冷めている。ラテン系なのは分かるけど、変な人たちだな~と思うでしょう。つまりそこまで経済発展が上手くいっていないんです。天下の台所と言われた大阪だけれども、近現代に入ると東京一極集中になったのは、そんな気がします。あいりん地区もね。

 

義兄なんてウチの実家に姉と一緒に来ると可哀想になってきますね(苦笑)。ウチの親父が「まったく最近の若い親はなあ~!」とブツブツ言い始めると、義兄はペコペコして納得しておいてあげなければならないわけですから(笑)。どこの家でもそうなんじゃないですかね。それって、自分だけと思っているのが現代的なんですよ。自分の母親の実家でなければ、そうやって舅や姑にボロクソに言われていたわけです。母親、祖母、などと代々において男子の家に嫁ぐとすれば、その男子の家の家系・家訓に従わなければならない。別にやりたくてやっているわけではありません。これが「世間中心」であり「家制度」なのです。嫌なら結婚なんかしなければいい。だから自然と日本では独り身にならざるを得なくなる。別に若くても、若くなくても、日本はそういう文化だってこと。これはもう日本史的にそうなっているわけです。血縁などではないわけ。

 

 

原型といったらもうそれは江戸時代で、初っ端が徳川家康としか言えない。それほどまでに今現在の東京都心(23区中心部)と江戸幕府の時の街中を地図で比較してみるとソックリ。つまり水路として川になっていたのがそのまま橋げたを付けて上に通せば首都高速になる。皇居の入り口に行けば江戸城天守跡が見られる(思ったより随分小さい)。天守閣は家ではなく…見張り台ですからね。だから設備なんていらない。

 

 

東京(円形)

 

 

京都(四角形)

 

今現在はさすがに行き過ぎだと思います。皇居の敷地の周りに超高層ビルやタワーマンションが立ち並び、いまだ東京タワーをも超える超高層ビルをそれぞれ新橋駅近くと東京駅近くに1棟ずつ建てている。バブル崩壊を忘れたのかな? もう東京一極集中なんて古いですからね。

私はいなければならないから、仕方なくいるのであって、やっぱり電車が走ってるから飛び込み自殺はなくならないし、高層ビルがあれば飛び降り自殺もなくならない。なんでもかんでも、良いことばかりとは限らない。それが分かったのではないでしょうか。ならば過去の人たちを参考に見習うことも重要なのではないか、そう思って仕方ないのです。このことはもちろん悪い意味でも含まれます。歴史的に同じ失敗を繰り返すほど間抜けなことはない。どうやったら都市の良さが出るか。これは東京よりも京都の方が…歴史が長いだけ数段上だと思いますけどね。

 

【ニューソース】

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