我が家の両津勘吉が熱を出した時 | ワーキングマザーの孤独 辞めたい休みたい、でも続けたい

1年くらい前にアニメのこち亀に子供達がハマっていたので、
そこで両津勘吉がものすごい免疫を持っているエピソードがありました。

何でも子供の時に葉っぱとか泥とか平気で食べていたり、並外れた運動量によってできた抗体があるとかで。

我が家でいうと私ですね。

子供たちの看病をしてもいっさい風邪は移らず、
注射の副反応以外はもう30年近く熱は出していないような記憶。

偏頭痛はありますが、
感染系にはもっぱら強いです。

そんな我が家のリョウさんが、
木曜の仕事終わりに帰宅中、寒気と謎の股関節痛に襲われました。
あ、これ風邪だわと思い、
帰宅して暖かくして、生姜を食べました。

しかし時すでに遅し、
ものすごい寒気と強烈な足の痛みが襲いました。
筋肉痛よりもアグレッシブな痛みで、身の置き所に困るほど。

でも、頭痛や喉の痛みはなくて、
これから熱でるかなーと念の為に測定してみると、

40.3°

おほ。

自分でもびっくり。

とりあえず寒気と足の痛み以外は元気なので、
ご飯作って片付けしてモリモリ食べて洗濯して、いつも通り過ごしました。

そして翌朝から下がらない熱と激しい頭痛、首の痛みと吐き気が出現。
地獄をみました。
髄膜炎って何度も検索しましたわ。

ガツンと夏みかんというアイスとポカリで3日生き延びました。

今まで体力強めだった母の弱り具合に、
子供たちが怯えていました。

しかし、
もう長男も中学生なので、家の前のスーパーに必要な物買いに行ってくれたり、
朝食や学校へ持って行く水筒を自分で作ったりしてくれました。

それ以外はまだ難しく、
朝に長男を起こしたり、
食事の準備(宅配系と冷凍系)洗い物や洗濯、学校や習い事への連絡は意識朦朧としながらやりました


次男は同じく風邪で寝込む、
夫は出張中という布陣でした。

次男は次男で、
母の事を呼びつけない努力をしてくれました。
(普段熱があると不安で呼びまくる)
熱でうなされながら、オカアサンガンバリスギチャッタネと呟いていました。

2日間は運転できる状態でなく、
次男を病院へ連れて行けず、自分ももちろん受診できず、
コロナかインフルか戦々恐々としながら過ごしましたが、結果どちらでも陰性でした。

咳止めや気管支拡張テープ、アセトアミノフェンは以前に処方された物がストックしてあったので、受診までは
次男の薬はそれで凌ぎました。

何より、
次男のクラスが学級閉鎖中だったので、
パンや冷凍食品、スープ、お菓子のストックがたくさんあった事、
ポカリの粉を常備していた事が最高にラッキーでした。

出社できるまでに一週間かかりました。

今も、まだ食欲の減退と、
激しい疲れやすさに支配されています。
でも元気です。

まとめ
強靭な免疫の私が熱をだした。
家の中の事は何とかできたが、40°熱があると頑張っても子供の看病がしきれない。
長男の成長を感じた。ついでにいうと長男だけ無事なのは、長男がリョウさんか?
食料のストックは最重要!(母が病気でも育ち盛りの長男は遠慮がちに一日中お腹が空いている)
寝ながらピザ頼んだ日もあった。
ピザって選択肢が多くておまかせセットみたいなの、欲しかった。

そして、そんな時に夫は出張に行っているものだ。
(私と次男の回復にラグがあったので、次男が学校行けるまで、出張の代休はちゃんと使ってくれた)

やっと治ったら、
今度は長男が怪我をしましたガーン
こんどは整形へ通うの巻。