なんのお仕事? 〜パート② | こどもの心はミュージカル!

こどもの心はミュージカル!

こどもの心は喜びにあふれ、歌いたくて踊りたくて、ワクワクしているものです!それは『創造力』『表現力』があふれているから。
その力を、ミュージカルをはじめとする全身表現で、大きく膨らませたい!――― それが私の大きな夢。



人の体をほぐし始めて何年か経った頃、

人の手は仕事によって

柔らかさやあたたかさ、

厚みや指先の雰囲気まで違うことに

気づきました。


それから何年かは、

人をほぐしながら、

その人がなんの仕事をしているか、

当てるように感性を働かせていました。


でも、いっこうに当たらない。


その最もギャップを感じた方は、

和太鼓奏者の女性でした。


TAOという和太鼓集団のライブに行った時、

CDを買ったらTAOの方にサインがもらえて、

握手もしてもらえる!


私は握手したさにCDを買いました。


和太鼓を力強く叩く音を聞いていて、

さも厚みのある力強い手を想定していたら、

握手をしてビックリ!


なんとあたたかく柔らかく、

優しい手だったのです。


ドーナツ屋さんでバイトしていた時期に、

そこで調査すると、

働いている方も、

人によって手の雰囲気は違います。


パン屋さんも人の体をほぐす人も、

幼稚園の先生から小学校の先生、

鉄を触る人も木工作家さんも、

エステシャンからとんぼ玉作家さん、

お花の先生に呉服屋さん…

実にさまざまな方の手を

ほぐしながら感覚を研ぎ澄まし、

仕事を聞く前に予測しても、

なかなか正解しない。


そんな時、

手はその人のイメージによって

雰囲気が変わることに気づきました。


私のよく知るパン屋さんは、

最初から最後まで機械を使わず手ごねです。


その方はたくさんパンを焼くことはせず、

すごく丁寧に、

パン種をかわいい赤ちゃんにふれるように、

小麦粉と遊ぶようにパンを作ります。


だから、手は柔らかくふわふわ、

パン種と同じような手をしています。


指先は繊細で、感覚が鋭く働いています。


スーパーのパン屋で、

パンを作っていた方にもふれましたが、

その方はきれいに仕上げるためか、

指先は細く、

全体的に繊細な印象でした。


同じ品質や見た目のパンを

作り続ける手なのでしょう。


ドーナツ屋さんでは、

手が優しく柔らかい人ほど、

美味しいドーナツを作ります。


そういう方は、

手があたたかいと、

ドーナツの生地がうまくまとまらないから、

手を冷やしたりして作っていました。


幼稚園の先生や保育園の先生も、

手が柔らかくあたたかい方ほど、

こどもがよってきます。


いろんな方の手にふれてわかったのは、

触っているものに、

優しい気持ちがある、とか、

柔らかな心で接していると、

手も柔らかくなるのでしょう。


イメージが手を作るのです。


私も体ほぐしがヘタだった時は、

平べったく固い手をしていました。


人は自分を受け入れてくれない、と、

幼少期に傷ついた拒絶感が、

人にふれる手にも現れていたのです。


体ほぐしをしていく中で、

理屈ではなく、体ごと

体にふれるとは、

相手の心にふれること。


すなわち、

体ほぐしは

相手の人生にふれさせてもらうこと、

と、実感した時から、

手は相手に寄り添うようになり、

私自身の冷え性すら改善されました。


そして、傷ついた心やこどもを

ほぐすことが増えてからは、

包み込むようなあたたかさと

繊細さを持つようになりました。


太鼓をたたく女性は、

太鼓を叩いていたのではなく、

太鼓を愛しいものとして、

共に音を奏でていたのでしょう。


だからあんなに、

音が深く人の心に届いてきたのでしょう。


さて、

いよいよ昨日の続き。


上記は私の研究でしたが、

「ラストマン」の全盲の検査官は、

握手した際に、

相手が料理家であることを見抜きます。


包丁を握り続けて

中指に握りダコがあることを指摘し、

「私はたくさんの人と

握手していたからわかる」と、

言っていました。


どこまでがフィクションで、

どこからが実際可能なのか、

テレビドラマですからわかりませんが、

私は自分の目が見えるばっかりに、

逆に

手の表面的な情報を見ようとせず、

柔らかさやあたたかさに

全神経を働かせて、

かえって囚われすぎてしまった。


でも、

全盲であるがゆえに、

表面的な形状や指の節のあり方、

手の皮膚の水分量なども

情報源にしていたのです。


まさに盲点でした!


見えるが故に、

内側のあり方に囚われてしまったけれど、

大事なのは内と外を一体と捉えて、

全ての五感で感じることでした。


捜査官は手からほんのり香る

食べ物の匂いも感じていたかもしれない。


手には、

その人が何にふれているかのイメージが

でるからこそ、

あたたかく柔らかい手でいられるような

自分の心のあり方を保ちたいなと思います。


そして、

受け取る時には、

触覚だけに頼らず、

五感で相手にふれ、

理解を深めた体ほぐしをしたいなと、

思いました。


余談ですが、

ドラマでは、

人の何気ない癖やその場の匂い、

床の手触りや音など、

さまざまな視覚以外の感覚を働かせて、

事件を紐解きます。


人の能力は、

使うほどに磨かれる凄さだと、

ドラマの解決策に毎回

感動しています。


今の段階では実際には

あり得ないかもしれなくても、

その感性を働かせたら

あり得るかもしれない、と、

思わせてくれるリアリティです。


苦手があるから、得意が伸びる。


できないことがあっても、

できる力でカバーできる。


そして、

完璧じゃないから、

人に頼れるし、

感謝もできる。


ドラマの中でも、

全盲の捜査官は何度も

周りにお礼を伝えています。


私もできないことは一人で抱え込まずに、

人に素直に助けを求め、

そのことに感謝を口にできるようで

ありたいです。