7月になりました。
とぶくじら広場もまもなく
前期が終わります。
みんなで表現の場を作り上げる前期は、
具体的な形を作りすぎず、
それぞれの子の特性やクセ、
課題が見えやすい時期です。
互いの合う、合わないもみながら、
その中で、互いに
どう関係を作っていけるのか、
みていきます。
小さい子の面倒が見れる子、
見るのが好きじゃない子、
日常のストレスがキツイ子、
ストレスに弱い子、
口調の優しさ、キツさ、
ワガママさも見え始める7月。
私は手を出しすぎず、
まず、見る、に、専念します。
こども相手の仕事は難しいと
私はいつも思います。
茨木のりこさんの詩に
「こどもたち」というものがあります。
「こどもたちの見るものはいつも断片」
て、はじまるこの詩。
だけど、その断片が
ある日、突然、
ゴブラン織りのように紡がれる。
その時に、
こども時代の思い出が
歪んだ形に紡がれないように
大人は注意してかかれ!
と、いうような内容です。
私はこの詩にいつも立ち返り、
こどもの目に映る自分を想像します。
教育の成果はその場ではでません。
こどもミュージカルは、
教育の場とは少し違うけど、
人間として育ち合う場だと
私は考えています。
私の作っている場が
いいのか悪いのかも、
その場の答えがすべてではありません。
良かれと思っていても、
その子には重くなったり、
逆に足りなかったり、
多すぎたり少なかったり…
そうであっても、
今が満足、という、それは断片で、
今、喜ばせるだけが
いいわけでもないでしょう。
私は思います。
こどもとの関わり方に
間違いなんてないし、
正解もない。
だからこそ、
手を出し過ぎて、
その子の育ちを妨げない。
ひたすら、
いつも真摯に、
愛情を持って場を育む。
場が育まれれば、
こどもたちが育ち行くのを、
ほんのすこしサポートする。
こどもにはちゃんと
育つ力があるから、
その力を信じて、
私もまた、
その場で育てられながら、
場をできるだけあたたかく
作る努力を怠らないようにする。
できるだけ、丁寧に
1人ずつをみていく。
人間は神様じゃないから、
正解を知らない。
それを良さと捉えて、
いつもこどもたちから学んでいたいと
思っています。