私はミュージカルという全身表現を通して、子どもに学んでほしいことがいっぱいあります
ですから表現指導するときには、できるだけ分かりやすい言葉を選びながら、
子どもに大切なこと、この経験で学んでほしいことなどを、必ず話すようにしています。
昨日、指導した小学校のミュージカルには、悪役が登場するとき、男子と女子で掛け合いをする歌があります
悪役のボスが、奴隷たちを働かせる歌なのですが、
「食べたきゃ働け」「食べたきゃ働け」、「さっさと働け」「さっさと働け」、「どんどん働け」「どんどん働け」・・・と、
歌の後半を盛り上げ、悪役の恐ろしさと、そこで服従する奴隷の怒りを見せる歌です。
ここが盛り上がらないと悪が倒される必然性が出ないので、みんなには必死になって歌ってほしいのですが…
これが小学校の劇指導では、一番難しい表現です
「必死に何かに取り組む姿」を友達に見られることが、学校という場ではしばしば困難です。
特に高学年になるほど、「いいかっこして…」と、言われる怖さで必死になれません。
勉強やスポーツといった、社会的評価の高いものならまだ出せても、
表現という自分がそのまま出るものではなおさらです。
そこで、私は子どもの実生活に基いて、それがいかに大事かという話をしていきます。
今回は、「必要な時には本気になって怒ること」。
以前、駅で女の人が、ご主人とみられる男の人に、大声で怒鳴られる現場を見ました。
男の人は女の人の髪の毛を引っ張り、階段を落とさんばかりです。
女の人は言い返せず、身を守るようにすることに精いっぱいでした。
「いざというときは、きちんと反論したり、抵抗すること。あるいは、助けを呼んだりすることって大切。
怒りを声にする。強い圧力に屈してあきらめたり、我慢するばかりではいけないんだよ」
「だからこの歌では、みんなの日ごろ我慢している怒りをぶつけて、奴隷の怒りにして」と、言いました。
みんなは日ごろの怒り、我慢している苛立ちなどを、歌にぶつけ始めました。
穏やかにして見える子にも、何かしら苛立ちや怒りはあるものです。
それを表現するなかで、自分の中からすっかり抜いていくことも、表現の値打ちです
歌はたちまち、迫力が出て、立体的になりました
すると、一人の男の子から質問が
「先生はそのケンカ、止めたの?」
実はその時の私は、電車の時間が迫っていて、周りの大人が心配してみているのを見たので、
何かあったら周りのだれかが何とかしてくれるだろうと、その場を何もせずに立ち去りました。
彼の一言で、偉そうなことを言っても何もしなかった自分に改めて気がつきました。
反省です。
子どもに恥じない自分であるよう、まだまだ私も成長していかなくてはいけない。
私は子どもに正直に伝えました。
そして、そういう機会を与えてくれた彼に、感謝の気持ちがいっぱいです