今日は祖母の事を書きます。
長くなるので、めんどーって方はスル~してね^^
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去る4月5日午後10時33分、 祖母が他界しました。
祖母は明治生まれ、102歳でした。
来月5月2日で103歳になるはずでした。
祖母は8年ほど前までは実家で元気に過ごしていました。
それまでずっと自分で布団を敷いていたのですが、ある夜
布団の角に足を取られて後ろに転んで頭を切って入院。
頭の怪我は何針か縫って治ったのですが、それから少しずつ
足腰が弱って入院生活から介護生活に代わっていきました。
時には自宅に帰って、母が介護していた事もありましたが、母も腰が悪くて介護も
難しくなってきて、泣く泣く介護付きの病院に入ることに。
それからは、家族や親戚が入れ替わり立ち代わり、会いにいっていました。
かれこれ、8年くらいかな?
3月下旬ころからご飯を受け付けなくなってきて、体が弱ってきたようです。
頭はけっこうしっかりしているのに、体の機能が衰えてゆく・・・
祖母は眠りに入る感じだったのかな?・・・
先生にもうじきです・・・と言われてすぐ、みんな会いにいきました。
私も。
病院にいくと、祖母はほんとに細くなっていて、よく生きてると思うくらい・・・
でも、耳元で大きな声で話かければ誰だか、わかるし、お話もできました。
自分があとどのくらい生きられるか・・・って時なのに
帰りのころ、祖母は父に 「(母に)腰、気を付けてね」 と言ったんです。
思わず、「おばあちゃん、まだ大丈夫だwww」 って笑っちゃいました^^;
そんなことがあった数日後の4月5日、夜10時33分。
祖母は息を引き取ったそうです。
10分前くらいに実家に電話があって、もうじきです・・・と言われて
父が慌てていったそうですが間に合わなかったと・・・
でも、苦しまずに逝けたのなら・・・ね。
祖母の葬儀は盛大で、本当に多くの方々がいらしてくれました。
私も結婚するまでの28年間、ずっと祖母と暮らしてきた内孫として、
「お裁縫の出来る手」を遺伝してくれた祖母として、いつも粋で素敵だった祖母を
誇りに思います。
生きてるうちにあまり言えなかった 「ありがとう」 の言葉を
眠りについた祖母に何度も何度も言いました。
久々にあった従兄が心羽にくれたブレスレッド♪^^
ちょっと人見知りして、従兄になかなか笑顔を見せなかったので
アクセサリーのお仕事をしている従兄が心羽に作ってくれたものです♪
Kくん、どうもありがとうね^^
良い記念になりました♪
こちらは祖母の100歳のお誕生日に書いたブログです。
http://chiffon211.blog.shinobi.jp/Entry/705/
祖母は、若い頃からお裁縫の先生をしていました。
私が小さい頃には、毎週3日とかはお弟子さんが家にきて、お裁縫を教えていて
その中で私もお弟子さんたちに遊んでもらったり、一緒に縫い物をしたりした記憶があります。
いつもここに裁ち板をおいて、お裁縫をしていたおばあちゃん。
先生より若いお弟子さんが見えない針の穴に感で糸を通してあげたりwww
胸元に針をさして、針置きのかわりにしていたので、自室以外のトイレやお勝手などでも
たまに針を見つけてびっくりすることもしばしwww笑
これはバザーの時か何かに出展してもらった祖母の縫ったお被布。
今は、着物を着る人も少なくなってしまって少しさびしいです。
祖母の趣味といえば、囲碁、麻雀、歌舞伎、百人一首などなど・・・
父とこうして囲碁をすることもありました。^^
祖母は私に何枚の着物を縫ってくれたことでしょう!
七五三の3歳と7歳の時にはお嫁さんみたいな白無垢を。
成人式の着物も。
そして結婚式のお色直しに着た着物も祖母が縫ってくれたもの。
そして、着てあげられなかったけど、喪服も縫ってくれてあります。
他に喜八や浴衣、他、いろんなものを縫ってくれました。
祖母とは私が小学生の時の夏休みにはよく二人で朝市にいったり夜には盆踊りにいった事もあったし、
高校のころはちょっと祖母はうとましく思った時期もありました。
私たちの結婚式にも呼んであげられたのでよかったです。
心羽の声は聞かせてあげられたけど、目が悪くなっていたので
残念ながら、見ることはできてないかも・・・
先日、幼稚園の制服を着せたまま、実家にいきました。
まだ祖母は実家にいるので、心羽の姿をみることができたかな?^^
母との電話でいってました。
父が、祖母の夢をみたそうです。
祖母は歩いていたそうな・・・
きっと、愛する息子に会いにきたのかもしれませんね。
父は嬉しかったろうな^^
実家のここに祭壇があるとね、生きて病院にいたころよりもなぜか身近に感じるの。
まるでおばあちゃんがそこでお裁縫をしている姿が見えるよう・・・不思議ね。
激動の明治、大正、昭和、平成、を生き抜いた祖母でしたが、
たくさんの親戚とたくさんの友人の方々に見守られながら、
うららかな春の桜と共に天国に行かれたこと、とても幸せだったのではないかと思います。
おばあちゃん、安らかに眠ってね。
そして、先に天国にいったみんなとまたにぎやかに過ごしてね^^
長々と読んでくださって、ありがとうございました。