005 株式会社ライフブランディング 代表取締役社長 西岡慎也氏
「パーソナルスタイリスト」という新分野に果敢にチャレンジする、
株式会社ライフブランディング 代表取締役社長 西岡慎也氏に
事業開始までの道のりや、熱い想いを伺いました。
”ファッション”が持つ大きな可能性
webを通じた口コミで、スタイリストの西岡氏が提唱する
セルフブランディングが注目を集めている。
セルフブランディングとは、カウンセリングを通して
「その人が最も輝くファッション」を創っていくサービスだ。
ファッションが変わると自信が生まれる。自信がつくと
行動が変わる。行動が変わると、まわりにも感動を
与えられる。こういったサイクルで、いまでは毎月
約30~40人の受講者が新しい自分を発見している。
クライアントはほとんど男性。40~50代はもちろん、
議員や弁護士といった先生方も多い。「自分を変えたい」
と思って訪れるクライアントが新しいファッションに身を
包んだとき、明らかに表情が変わる。「これからは
骨董通りでも表参道ヒルズでもどんとこい!って言う、
こちらも驚くくらい自信に溢れる雰囲気になっているんですよ」
古着屋から始まったスタイリスト
20歳からファッション業界で活躍してきた西岡氏。
最初は土浦の古着屋店員だった。古着屋はどこも店員の
プライドが高かったこの頃、お客との距離を縮めて信頼感
のある接客をする西岡氏は異端児だった。しかし
「売れなくてもいい。本当に似合うものを勧めたい」
という西岡氏を慕うお客が急増。気づくとまわりの店員も
西岡氏の接客を見習うようになっていた。そして店員同士の
あうんの呼吸の中、店の売上はなんと3倍に。
しかし店舗で働く限り、店として売らなければいけない商品
に縛られ続ける。「お客様に感動を与えられる場所をつくりたい」
という純粋な想いが募る中、独立を決意した。
独立で極めた頂点と迷い
21歳のとき同じく土浦で「with pleasure」という店を立ち
上げる。お母様からの融資と、バイクを売った自己資金
350万円でのスタートだった。「2年に1度はつぶれる立地」
という悪条件の中、「まずはコーディネート」という
コンセプトで事業は順調に拡大。起業から7年でオリジナル
ブランドの洋服のほかにも靴やバーなどの業態で店舗を
増やしていった。事業家としてマンションを買い、高級車に
乗る日々。実家にも毎月多額のお金を入れられるようになった。
しかし輝かしい成功の裏で、西岡氏の心には迷いが
生まれていた。「お金をもって、何をすればよいのか
わからなくなったんです」。当時を振り返り西岡氏は語る。
「感謝の気持がなくなって天狗になってたと思います。
一緒にやっていたスタッフもどんどん離れていって…。
ある日母に言われました。あんたはまわりの人たちを
馬鹿にしてると。これはきつかったですね」。悩んだ結果、
初心に戻ることを決意した西岡氏は、土浦で信頼する
経営者にすべての事業を譲り、東京でゼロからの
スタートを切ることになる。
東京での再スタートは、港区民の研究から始まった
「お客様に感動を与えるサービスの集大成を創りたい」
「東京で成功すれば本当の経営者になれる」という想いを
胸に上京。土浦の仲間からは「乞食になるつもりか」
とも言われ、なんのツテもない中、西岡氏が始めたのは
なんとバー巡りだった。初めて行ったバーでもあっという
間に常連の仲間入りができる西岡氏。「まずは六本木で
東京都民の代表、港区民を知る!」目標での人脈作りが
始まった。行きつけのバーが増えるにつれ、仲良くなった
バーテンダーからコーディネートを希望するお客様を
紹介されるまでになった。着実に増えていく人脈。
そしてちょうどこの時期に知り合った仲間と一緒に、
3人でこの南青山に開業したのが2007年9月。
3人のうちスタイリスト経験があるのは西岡氏のみ。
だからこそそれぞれの強みを活かした事業運営で現在
に至る。「専門分野が違う3人ですから喧嘩が多いんです。
でも言いたいことを出し切ったほうが絶対いい。
喧嘩してても仲はいいんですよ(笑)」。
ファッションの力で世の中を変えたい
南青山での事業が軌道に乗りつつある中、今後は
スタイリストを育てる側になって、彼らがより多くの
クライアントに感動を提供できるようになれたら…
西岡氏は夢を語る。3年後は東京以外の主要都市にも
店舗を計画中。「店員として商品を勧める」だけではない、
クライアントを深く理解することで似合うファッションを
提案できる「パーソナルスタイリスト」を日本全国に
拡げる先駆者になるのが西岡氏の夢だ。
「ファッションを通じて自信や楽しさを感じる人が増えたら、
自分を生んでくれた親や周りの人への感謝の気持も
生まれるはず。」と語る西岡氏。これまで自分に嘘を
つかず、全力で目の前のものに取り組みながら、
波瀾万丈をくぐり抜けてきた西岡氏だからこそ、
ファッションが持つ力を最大限に活用し、世の中
それ自体をよいものに変えて行くことができるのでは
ないだろうか。今後ますます素敵な男性が増えることを
期待したい。
<西岡慎也氏プロフィール>
茨城県土浦市出身。古着屋に就職した1年2ヶ月後に21歳で
セレクトショップ「ウィズプレジャー」を独立開業。
その後、「ウィズプレジャー」2店舗目、バー、靴屋と合計4店舗の
オーナーとなる。2007年それまでの店舗を信頼する宇山氏に譲り、
東京へ進出。2007年9月に株式会社ライフブランディングを設立し、
南青山の骨董通り沿いにコーディネートサロン「One'sStyle 」を展開。
新しい業態であるパーソナルスタイリストを世に広めるべく奮闘中。
趣味は部屋の模様替え、映画鑑賞、バスケットボール。
特技はいちげんでバーの常連になること。
メールマガジン配信日:2008年9月24日
ミニ交流会開催日:2008年10月20日
株式会社ライフブランディング 代表取締役社長 西岡慎也氏に
事業開始までの道のりや、熱い想いを伺いました。
”ファッション”が持つ大きな可能性
webを通じた口コミで、スタイリストの西岡氏が提唱する
セルフブランディングが注目を集めている。
セルフブランディングとは、カウンセリングを通して
「その人が最も輝くファッション」を創っていくサービスだ。
ファッションが変わると自信が生まれる。自信がつくと
行動が変わる。行動が変わると、まわりにも感動を
与えられる。こういったサイクルで、いまでは毎月
約30~40人の受講者が新しい自分を発見している。
クライアントはほとんど男性。40~50代はもちろん、
議員や弁護士といった先生方も多い。「自分を変えたい」
と思って訪れるクライアントが新しいファッションに身を
包んだとき、明らかに表情が変わる。「これからは
骨董通りでも表参道ヒルズでもどんとこい!って言う、
こちらも驚くくらい自信に溢れる雰囲気になっているんですよ」
古着屋から始まったスタイリスト
20歳からファッション業界で活躍してきた西岡氏。
最初は土浦の古着屋店員だった。古着屋はどこも店員の
プライドが高かったこの頃、お客との距離を縮めて信頼感
のある接客をする西岡氏は異端児だった。しかし
「売れなくてもいい。本当に似合うものを勧めたい」
という西岡氏を慕うお客が急増。気づくとまわりの店員も
西岡氏の接客を見習うようになっていた。そして店員同士の
あうんの呼吸の中、店の売上はなんと3倍に。
しかし店舗で働く限り、店として売らなければいけない商品
に縛られ続ける。「お客様に感動を与えられる場所をつくりたい」
という純粋な想いが募る中、独立を決意した。
独立で極めた頂点と迷い
21歳のとき同じく土浦で「with pleasure」という店を立ち
上げる。お母様からの融資と、バイクを売った自己資金
350万円でのスタートだった。「2年に1度はつぶれる立地」
という悪条件の中、「まずはコーディネート」という
コンセプトで事業は順調に拡大。起業から7年でオリジナル
ブランドの洋服のほかにも靴やバーなどの業態で店舗を
増やしていった。事業家としてマンションを買い、高級車に
乗る日々。実家にも毎月多額のお金を入れられるようになった。
しかし輝かしい成功の裏で、西岡氏の心には迷いが
生まれていた。「お金をもって、何をすればよいのか
わからなくなったんです」。当時を振り返り西岡氏は語る。
「感謝の気持がなくなって天狗になってたと思います。
一緒にやっていたスタッフもどんどん離れていって…。
ある日母に言われました。あんたはまわりの人たちを
馬鹿にしてると。これはきつかったですね」。悩んだ結果、
初心に戻ることを決意した西岡氏は、土浦で信頼する
経営者にすべての事業を譲り、東京でゼロからの
スタートを切ることになる。
東京での再スタートは、港区民の研究から始まった
「お客様に感動を与えるサービスの集大成を創りたい」
「東京で成功すれば本当の経営者になれる」という想いを
胸に上京。土浦の仲間からは「乞食になるつもりか」
とも言われ、なんのツテもない中、西岡氏が始めたのは
なんとバー巡りだった。初めて行ったバーでもあっという
間に常連の仲間入りができる西岡氏。「まずは六本木で
東京都民の代表、港区民を知る!」目標での人脈作りが
始まった。行きつけのバーが増えるにつれ、仲良くなった
バーテンダーからコーディネートを希望するお客様を
紹介されるまでになった。着実に増えていく人脈。
そしてちょうどこの時期に知り合った仲間と一緒に、
3人でこの南青山に開業したのが2007年9月。
3人のうちスタイリスト経験があるのは西岡氏のみ。
だからこそそれぞれの強みを活かした事業運営で現在
に至る。「専門分野が違う3人ですから喧嘩が多いんです。
でも言いたいことを出し切ったほうが絶対いい。
喧嘩してても仲はいいんですよ(笑)」。
ファッションの力で世の中を変えたい
南青山での事業が軌道に乗りつつある中、今後は
スタイリストを育てる側になって、彼らがより多くの
クライアントに感動を提供できるようになれたら…
西岡氏は夢を語る。3年後は東京以外の主要都市にも
店舗を計画中。「店員として商品を勧める」だけではない、
クライアントを深く理解することで似合うファッションを
提案できる「パーソナルスタイリスト」を日本全国に
拡げる先駆者になるのが西岡氏の夢だ。
「ファッションを通じて自信や楽しさを感じる人が増えたら、
自分を生んでくれた親や周りの人への感謝の気持も
生まれるはず。」と語る西岡氏。これまで自分に嘘を
つかず、全力で目の前のものに取り組みながら、
波瀾万丈をくぐり抜けてきた西岡氏だからこそ、
ファッションが持つ力を最大限に活用し、世の中
それ自体をよいものに変えて行くことができるのでは
ないだろうか。今後ますます素敵な男性が増えることを
期待したい。
<西岡慎也氏プロフィール>
茨城県土浦市出身。古着屋に就職した1年2ヶ月後に21歳で
セレクトショップ「ウィズプレジャー」を独立開業。
その後、「ウィズプレジャー」2店舗目、バー、靴屋と合計4店舗の
オーナーとなる。2007年それまでの店舗を信頼する宇山氏に譲り、
東京へ進出。2007年9月に株式会社ライフブランディングを設立し、
南青山の骨董通り沿いにコーディネートサロン「One'sStyle 」を展開。
新しい業態であるパーソナルスタイリストを世に広めるべく奮闘中。
趣味は部屋の模様替え、映画鑑賞、バスケットボール。
特技はいちげんでバーの常連になること。
メールマガジン配信日:2008年9月24日
ミニ交流会開催日:2008年10月20日
004 有限会社シルキースタイル 代表 山田 奈央子 さん
今回は、女性にもっと下着を楽しんでもらいたいという想いから、
世界で初めての「下着コンシェルジュ」として会社も設立。
最近では「下着の品格」(大鳥居舞(ペンネーム)著、カナリア書房)
も出版され、ますます幅広く活躍中の山田奈央子さんにお話を
伺いました。
容姿にコンプレックスを感じていた学生時代
業界でただ1人の「下着コンシェルジュ」として活躍中の山田さん。
最近『下着の品格』を執筆されたこともあり、各方面で紹介される
写真はどれも美しいものばかりだ。しかしそんな山田さんでも、
学生時代は自分の容姿に深いコンプレックスがあったという。
そんな山田さんにひとつの転機が訪れたのは大学3年のとき。
たまたま下着をプレゼントされる機会があり、何気なく身に付け
たその下着で、綺麗であることの気持ちよさや、自分の女性とし
ての魅力を再認識した。下着をきっかけとしてコンプレックス
解消のヒントを得た山田さん。「この気持ちよさをほかの女性
にも感じてほしい!」。この頃から、女性の自分らしい美しさを
手に入れる方法に興味を持つようになった。
大企業だからこそ手に入らない理想を得るため、独立を決意
大学卒業後、ワコールに入社。製品開発に4年間携わった。
自分が担当している製品の大きな影響を感じながらの毎日。
その一方で、大企業ならではというべきか、消費者の声を
身近に感じられないフラストレーションが高まっていった。
入社2年目には製品開発の仕事の傍ら、下着に関する
セミナーや執筆をスタート。「女性の外見・内面・精神は
人それぞれみな違いますよね。既製品に自分を合わせる
のではなく、本当にその人に合う下着選びをしてほしかった
んです」。そして27歳のとき、大学時代にビジネスの夢を
一緒に語っていたパートナーと共に独立。
現在は「下着コンシェルジュ」という肩書きを持ちつつ会社では
オリジナルブランドを展開をするほか、セミナーや商品販売など
数々のビジネス展開を通じて、女性が輝くヒントを世に送りだしている。
勇気をだしてみんなに語ることでかなった夢
最近山田さんは著書『下着の品格』を出版したばかり。
「下着コンシェルジュで感じたことをいつか本にまとめたい」
これはもともと山田さんがあたためていた夢だった。
いま、山田さんの会社ではあるセミナーに注目が集まっている。
『夢をかなえるキャリアデザインセッション』
というテーマで女性社長を招き、参加者全員でキャリア
デザインについてディスカッションしている。
ここでは最後に参加者全員が「自分の夢」を発表する
コーナーを設けている。ここで主催者側である山田さんは、
第一回目のセミナーで「下着の本をだしたい!」と発表。
奇しくも山田さん自身が、セミナー参加者として夢がかなった
第一号となった。
「自分がこうしたいとまわりにアピールしていると、チャンスは
必ずやってきます。まず言葉にして話すことが大切ですね」。
思い立ったが吉日! 興味を持ったらとりあえずやってみる
起業から3年がたち、益々アクティブな山田さんだが、
プライベートも同様だ。いまはまっているのは社交ダンス。
それまでサルサチームに所属し、海外大会に出場する
ほどの腕前だったが、5年目を迎えた今年卒業し、
新たに社交ダンスの世界へ。
「女性を美しく魅せるという意味で、ダンスはどれも
下着コンシェルジュに通じるものがあるんですよ」。
そんな山田さんのアクティブの源泉、それは
「思い立ったらとにかくやってみる」こと。
「行動しないと物事はついてこない、よいか悪いかやって
みないとわからない。私の場合、これだ!と思ったときに
すぐ動いたほうが、成功することが多いみたいです」。
もともと30歳でイメージしていた起業だが、これだ! と
思ったチャンスが訪れたのは27歳のとき。
「予定を変えたことに後悔はまったくないですね。
これでよかったと思っています」。
世の中の女性をもっと自由に美しくしたい
近いうちに、完全オーダーメイドの下着ブランドを
立ち上げたいと語る山田さん。下着のオーダーメイドは
なかなか目にしないが、山田さんによるとブラで使われる
パーツは30~50もあり、このパーツの多さ・複雑さが
これまで完全オーダーメイドを難しくしている原因のひとつ
だという。「女磨きは下着から」と語る山田さんは
「完全オーダーメイドの成功で業界にミラクルを起こしたい」
とキラキラした瞳で熱く語った。遠い将来としては、
女性がもっと自由に働くことができる環境をつくるのが
山田さんのもうひとつの夢。小さい頃、サウジアラビアや
ボストンで育った山田さんには、海外の女性は自由で美しくみえた。
「海外の女性は結婚・仕事のバランス感覚が優れていると
思います。日本女性の多くが結婚で仕事を辞めてしまうのは
もったいない。いずれは場所や時間にとらわれずに女性が能力を
活かせるような、そんな仕事のスタイルを提供できたらいいな
と思っています」。
最近ご結婚された山田さんだが、妻であり社長という
立場にあるからこそ、女性という魅力や能力の活かし方を
ビジネスとして具体化できるのではないだろうか。
山田奈央子さんプロフィール
盛岡生まれ、サウジアラビア育ち。上智大学文学部卒業後、
株式会社ワコールに入社。下着の企画・開発・MDを行った後、
国内メーカー・インポートランジェリーの販売も経験。
世界初の下着コンシェルジュとして、世の中の女性にもっと下着を
楽しんで欲しい想いで下着セミナーを開催し、雑誌、TV、インターネット
などでも下着のアドバイスを行う。
下着コンシェルジュとして内面美の追求を行いながら、美容の会社
である 有限会社Silky Style を2006年に設立、代表取締役就任。
ボディーケア商品やコスメ商品を扱い、ビューティーコンシェルジュとして、
女性の内面美と外見美のトータルビューティーコーディネートも行っている。
最近では、夢を実現したいと願っている女性のための
『キャリアデザインセッション 』を主催し、多くの自己実現したい女性から
支持を得ている。また、プライベートでは、アクティブな上智大学生を
集めた ネオソフィアン の幹部メンバーとして母校の活性化のために活動を
行っている。将来の夢は、ランジェリージャーナリストになることと
東京コレクションの下着版を開催すること。
関連リンク: 山田奈央子さんのブログ
メールマガジン配信日:2008年9月10日
ミニ交流会開催日:2008年10月3日
世界で初めての「下着コンシェルジュ」として会社も設立。
最近では「下着の品格」(大鳥居舞(ペンネーム)著、カナリア書房)
も出版され、ますます幅広く活躍中の山田奈央子さんにお話を
伺いました。
容姿にコンプレックスを感じていた学生時代
業界でただ1人の「下着コンシェルジュ」として活躍中の山田さん。
最近『下着の品格』を執筆されたこともあり、各方面で紹介される
写真はどれも美しいものばかりだ。しかしそんな山田さんでも、
学生時代は自分の容姿に深いコンプレックスがあったという。
そんな山田さんにひとつの転機が訪れたのは大学3年のとき。
たまたま下着をプレゼントされる機会があり、何気なく身に付け
たその下着で、綺麗であることの気持ちよさや、自分の女性とし
ての魅力を再認識した。下着をきっかけとしてコンプレックス
解消のヒントを得た山田さん。「この気持ちよさをほかの女性
にも感じてほしい!」。この頃から、女性の自分らしい美しさを
手に入れる方法に興味を持つようになった。
大企業だからこそ手に入らない理想を得るため、独立を決意
大学卒業後、ワコールに入社。製品開発に4年間携わった。
自分が担当している製品の大きな影響を感じながらの毎日。
その一方で、大企業ならではというべきか、消費者の声を
身近に感じられないフラストレーションが高まっていった。
入社2年目には製品開発の仕事の傍ら、下着に関する
セミナーや執筆をスタート。「女性の外見・内面・精神は
人それぞれみな違いますよね。既製品に自分を合わせる
のではなく、本当にその人に合う下着選びをしてほしかった
んです」。そして27歳のとき、大学時代にビジネスの夢を
一緒に語っていたパートナーと共に独立。
現在は「下着コンシェルジュ」という肩書きを持ちつつ会社では
オリジナルブランドを展開をするほか、セミナーや商品販売など
数々のビジネス展開を通じて、女性が輝くヒントを世に送りだしている。
勇気をだしてみんなに語ることでかなった夢
最近山田さんは著書『下着の品格』を出版したばかり。
「下着コンシェルジュで感じたことをいつか本にまとめたい」
これはもともと山田さんがあたためていた夢だった。
いま、山田さんの会社ではあるセミナーに注目が集まっている。
『夢をかなえるキャリアデザインセッション』
というテーマで女性社長を招き、参加者全員でキャリア
デザインについてディスカッションしている。
ここでは最後に参加者全員が「自分の夢」を発表する
コーナーを設けている。ここで主催者側である山田さんは、
第一回目のセミナーで「下着の本をだしたい!」と発表。
奇しくも山田さん自身が、セミナー参加者として夢がかなった
第一号となった。
「自分がこうしたいとまわりにアピールしていると、チャンスは
必ずやってきます。まず言葉にして話すことが大切ですね」。
思い立ったが吉日! 興味を持ったらとりあえずやってみる
起業から3年がたち、益々アクティブな山田さんだが、
プライベートも同様だ。いまはまっているのは社交ダンス。
それまでサルサチームに所属し、海外大会に出場する
ほどの腕前だったが、5年目を迎えた今年卒業し、
新たに社交ダンスの世界へ。
「女性を美しく魅せるという意味で、ダンスはどれも
下着コンシェルジュに通じるものがあるんですよ」。
そんな山田さんのアクティブの源泉、それは
「思い立ったらとにかくやってみる」こと。
「行動しないと物事はついてこない、よいか悪いかやって
みないとわからない。私の場合、これだ!と思ったときに
すぐ動いたほうが、成功することが多いみたいです」。
もともと30歳でイメージしていた起業だが、これだ! と
思ったチャンスが訪れたのは27歳のとき。
「予定を変えたことに後悔はまったくないですね。
これでよかったと思っています」。
世の中の女性をもっと自由に美しくしたい
近いうちに、完全オーダーメイドの下着ブランドを
立ち上げたいと語る山田さん。下着のオーダーメイドは
なかなか目にしないが、山田さんによるとブラで使われる
パーツは30~50もあり、このパーツの多さ・複雑さが
これまで完全オーダーメイドを難しくしている原因のひとつ
だという。「女磨きは下着から」と語る山田さんは
「完全オーダーメイドの成功で業界にミラクルを起こしたい」
とキラキラした瞳で熱く語った。遠い将来としては、
女性がもっと自由に働くことができる環境をつくるのが
山田さんのもうひとつの夢。小さい頃、サウジアラビアや
ボストンで育った山田さんには、海外の女性は自由で美しくみえた。
「海外の女性は結婚・仕事のバランス感覚が優れていると
思います。日本女性の多くが結婚で仕事を辞めてしまうのは
もったいない。いずれは場所や時間にとらわれずに女性が能力を
活かせるような、そんな仕事のスタイルを提供できたらいいな
と思っています」。
最近ご結婚された山田さんだが、妻であり社長という
立場にあるからこそ、女性という魅力や能力の活かし方を
ビジネスとして具体化できるのではないだろうか。
山田奈央子さんプロフィール
盛岡生まれ、サウジアラビア育ち。上智大学文学部卒業後、
株式会社ワコールに入社。下着の企画・開発・MDを行った後、
国内メーカー・インポートランジェリーの販売も経験。
世界初の下着コンシェルジュとして、世の中の女性にもっと下着を
楽しんで欲しい想いで下着セミナーを開催し、雑誌、TV、インターネット
などでも下着のアドバイスを行う。
下着コンシェルジュとして内面美の追求を行いながら、美容の会社
である 有限会社Silky Style を2006年に設立、代表取締役就任。
ボディーケア商品やコスメ商品を扱い、ビューティーコンシェルジュとして、
女性の内面美と外見美のトータルビューティーコーディネートも行っている。
最近では、夢を実現したいと願っている女性のための
『キャリアデザインセッション 』を主催し、多くの自己実現したい女性から
支持を得ている。また、プライベートでは、アクティブな上智大学生を
集めた ネオソフィアン の幹部メンバーとして母校の活性化のために活動を
行っている。将来の夢は、ランジェリージャーナリストになることと
東京コレクションの下着版を開催すること。
関連リンク: 山田奈央子さんのブログ
メールマガジン配信日:2008年9月10日
ミニ交流会開催日:2008年10月3日
003 フリーアナウンサーとして活躍中 宮本 優香 さん
今回は、フリーのアナウンサーとして活躍中の宮本さんに、
アナウンサーになったきっかけから、現在はまっている趣味
のお話まで、その元気の源をお伺いしました。
最初は反発を感じていたアナウンサーという仕事
実は宮本さんのお父様は、NHKのアナウンサーだった。
子供の頃の父は、仕事が不規則なため家にいることが少なく、
あまり遊んでくれない父を見て、アナウンサーは家族に優しく
ない職業だと思っていた。
そんな折、当時通っていた英語塾の先生から意外な指摘を
受ける。「宮本さんは将来ニュースキャスターになるんだよね?」
将来の話をしたこともないのに、尊敬する老先生がなぜ
いきなりそんなことを言ったのか、さっぱりわからなかった
宮本さんだったが、当時を振り返りこう語る。「いまこうして
アナウンサーになっている自分を思うと、先生は私の性格を
よくわかっていたのかもしれないと思いますね」
”爆弾娘”という名で愛された、宮崎での局アナ時代
学生時代から「とにかく人と話すのが好き!」だった宮本さん。
フェリス女学院を卒業後、宮崎放送の局アナとして、ニュース
があればどこにでも駆けつける3年間を過ごした。いまでも
忘れられないのはゴルフのダンロップフェニックストーナメントの
ラジオ中継。2週間前に急遽担当が決まり、それまでゴルフクラブ
を握ったこともなかったが、まるで大学入試のようにゴルフの
猛勉強をした上での本番だった。なんとか1日目のリポートをこなし、
最後3分間のコメントを求められた。無事に終わった安心感で
「実際にラウンドしたことがない私がリポートさせていただいて、
(ゴルフを)やるのと、リポートするのとでは、全然違いますね。
これから先輩方に19番ホールで反省会をお願いします!」
とまとめたところ、上司から即呼び出しが。
「お前、19番ホールの意味わかってんのか!」
まじめにゴルフを勉強したからこそ、気づかなかった隠語を
さわやかな笑顔で言い放った宮本さん。
「理不尽に思えて、そのときは辞めてやる!と思いましたよ(笑)」
微笑ましいハプニングがきっかけとなって、宮本さんについた愛称は
「爆弾娘」厳しい先輩に鍛えられながらも、持ち前のバイタリティ
と明るさで、その後も活躍を重ねた。
不安になったらとにかく歩く。自分自身の換気が大切
その後、宮崎放送を退職し、フリーアナウンサーとなる。
フリーになって6年目のいま、TV・イベント・ラジオと仕事の幅も
広がり、順風満帆にみえる宮本さんだが、たまに不安になる
こともあるという。「女性だからしがらみなく自由に仕事ができる
反面、仕事上の失敗や将来を思うと心細くなることもあるんですよ」
不安になったときの宮本さんとっておきの解消法、それは歩くこと。
家の近所や公園をとにかく歩く。まわりの景色を眺めながら
歩いていると、不思議に不安が消えてくるという。
「もともと歩くのが好きなんですよね。犬の散歩を夢中でしてると
悩みを忘れたりしますよね。あれと同じです」もうひとつ、
宮本さんがいつも心がけているのは「心の換気」
前の日に嫌なことがあったりしても、それを溜めないでゼロにする
ようにしている。仕事で新たなゲストと接することが多いので、
ベストな状態=ゼロの自分であるよう心がけている。
そのために自分の中にいろいろなものを滞らせないよう、
お塩やお酒の入ったお風呂に長時間浸かるほか、朝のシャワー
で大声をだして発散するなど、女性らしい工夫をしている。
人が好きだからこそ、体当たりでうまれた信頼
「とにかく人に興味があるんです。その人がどんなふうに
生きてるのか、知りたい気持が強くて」という宮本さん。
これからも自分が好きなことをさらに深めていきたいと語る
宮本さんの瞳には、人への飽くなき興味と情熱があふれている。
仕事の壁にぶつかったときは、いまでも宮崎時代の先輩に
相談する。「アナウンサーっておもしろい職業で、男性は女性
っぽく、女性は男性らしくなるんですね。その先輩は男性なん
ですがまるで姑みたいに細かくて…。小さいミスにも厳しくて、
昔は大嫌いでした(笑)」しかしそういった人間同士の
ぶつかり合いがあったからこそ、今では何でも相談できる間柄に。
「いまでは大好きです(笑)大切な先輩です」
強く思っていれば必ずチャンスはやってくる
宮本さんが人好きなのは仕事だけではない。仕事を離れても、
自宅でのホームパーティーなど宮本さんのまわりはいつも
賑やかだ。宮本さんの趣味のひとつは料理。テーマ毎に究極
のレシピを開発するという、男性的な手法でいまは餃子に夢中。
以前ニュースキャスターをやっていたとき、ふとまわりに
振る舞った手製のお弁当が大好評だったことがあった。
そしてその食事がきっかけとなって、職場にあたたかい交流が
うまれた。将来はアナウンサーとして何かを伝えることと、
身体によい自然の食、このふたつを仕事として結びつけるのが
宮本さんの夢だ。「強く思っていると、そちらに行くことって多い
と思うんです。毎日思う、まわりにも話す。そうしてると不思議と
チャンスがやってくるんじゃないかと」いつも自分自身をフラット
にクリアにすることで、肩の力を抜いた生き方を実践している
宮本さん。そこに無理がないからこそ、無限のパワーを
生み出しているようにも感じる。そんな宮本さんの笑顔は、
これからますます多くの人の心をあたたかくしていくことだろう。
宮本優香さんプロフィール
1976年9月5日東京生まれ。フェリス女学院大学卒業後、
宮崎放送の局アナを経て独立。TBSニュースバードキャスターに。
現在は、千葉テレビ・TVK「青春グラフティー倶楽部」でMCを担当。
KNTVで韓国の音楽を紹介する「K-POPヴィンテージ」でVJ担当。
趣味は韓国語。韓国映画は160本は観たというほどの韓国通。
もう一つの趣味は料理で最近は餃子にはまっている。
血液型はB型。
メールマガジン配信日:2008年8月28日
ミニ交流会開催日:2008年9月16日
アナウンサーになったきっかけから、現在はまっている趣味
のお話まで、その元気の源をお伺いしました。
最初は反発を感じていたアナウンサーという仕事
実は宮本さんのお父様は、NHKのアナウンサーだった。
子供の頃の父は、仕事が不規則なため家にいることが少なく、
あまり遊んでくれない父を見て、アナウンサーは家族に優しく
ない職業だと思っていた。
そんな折、当時通っていた英語塾の先生から意外な指摘を
受ける。「宮本さんは将来ニュースキャスターになるんだよね?」
将来の話をしたこともないのに、尊敬する老先生がなぜ
いきなりそんなことを言ったのか、さっぱりわからなかった
宮本さんだったが、当時を振り返りこう語る。「いまこうして
アナウンサーになっている自分を思うと、先生は私の性格を
よくわかっていたのかもしれないと思いますね」
”爆弾娘”という名で愛された、宮崎での局アナ時代
学生時代から「とにかく人と話すのが好き!」だった宮本さん。
フェリス女学院を卒業後、宮崎放送の局アナとして、ニュース
があればどこにでも駆けつける3年間を過ごした。いまでも
忘れられないのはゴルフのダンロップフェニックストーナメントの
ラジオ中継。2週間前に急遽担当が決まり、それまでゴルフクラブ
を握ったこともなかったが、まるで大学入試のようにゴルフの
猛勉強をした上での本番だった。なんとか1日目のリポートをこなし、
最後3分間のコメントを求められた。無事に終わった安心感で
「実際にラウンドしたことがない私がリポートさせていただいて、
(ゴルフを)やるのと、リポートするのとでは、全然違いますね。
これから先輩方に19番ホールで反省会をお願いします!」
とまとめたところ、上司から即呼び出しが。
「お前、19番ホールの意味わかってんのか!」
まじめにゴルフを勉強したからこそ、気づかなかった隠語を
さわやかな笑顔で言い放った宮本さん。
「理不尽に思えて、そのときは辞めてやる!と思いましたよ(笑)」
微笑ましいハプニングがきっかけとなって、宮本さんについた愛称は
「爆弾娘」厳しい先輩に鍛えられながらも、持ち前のバイタリティ
と明るさで、その後も活躍を重ねた。
不安になったらとにかく歩く。自分自身の換気が大切
その後、宮崎放送を退職し、フリーアナウンサーとなる。
フリーになって6年目のいま、TV・イベント・ラジオと仕事の幅も
広がり、順風満帆にみえる宮本さんだが、たまに不安になる
こともあるという。「女性だからしがらみなく自由に仕事ができる
反面、仕事上の失敗や将来を思うと心細くなることもあるんですよ」
不安になったときの宮本さんとっておきの解消法、それは歩くこと。
家の近所や公園をとにかく歩く。まわりの景色を眺めながら
歩いていると、不思議に不安が消えてくるという。
「もともと歩くのが好きなんですよね。犬の散歩を夢中でしてると
悩みを忘れたりしますよね。あれと同じです」もうひとつ、
宮本さんがいつも心がけているのは「心の換気」
前の日に嫌なことがあったりしても、それを溜めないでゼロにする
ようにしている。仕事で新たなゲストと接することが多いので、
ベストな状態=ゼロの自分であるよう心がけている。
そのために自分の中にいろいろなものを滞らせないよう、
お塩やお酒の入ったお風呂に長時間浸かるほか、朝のシャワー
で大声をだして発散するなど、女性らしい工夫をしている。
人が好きだからこそ、体当たりでうまれた信頼
「とにかく人に興味があるんです。その人がどんなふうに
生きてるのか、知りたい気持が強くて」という宮本さん。
これからも自分が好きなことをさらに深めていきたいと語る
宮本さんの瞳には、人への飽くなき興味と情熱があふれている。
仕事の壁にぶつかったときは、いまでも宮崎時代の先輩に
相談する。「アナウンサーっておもしろい職業で、男性は女性
っぽく、女性は男性らしくなるんですね。その先輩は男性なん
ですがまるで姑みたいに細かくて…。小さいミスにも厳しくて、
昔は大嫌いでした(笑)」しかしそういった人間同士の
ぶつかり合いがあったからこそ、今では何でも相談できる間柄に。
「いまでは大好きです(笑)大切な先輩です」
強く思っていれば必ずチャンスはやってくる
宮本さんが人好きなのは仕事だけではない。仕事を離れても、
自宅でのホームパーティーなど宮本さんのまわりはいつも
賑やかだ。宮本さんの趣味のひとつは料理。テーマ毎に究極
のレシピを開発するという、男性的な手法でいまは餃子に夢中。
以前ニュースキャスターをやっていたとき、ふとまわりに
振る舞った手製のお弁当が大好評だったことがあった。
そしてその食事がきっかけとなって、職場にあたたかい交流が
うまれた。将来はアナウンサーとして何かを伝えることと、
身体によい自然の食、このふたつを仕事として結びつけるのが
宮本さんの夢だ。「強く思っていると、そちらに行くことって多い
と思うんです。毎日思う、まわりにも話す。そうしてると不思議と
チャンスがやってくるんじゃないかと」いつも自分自身をフラット
にクリアにすることで、肩の力を抜いた生き方を実践している
宮本さん。そこに無理がないからこそ、無限のパワーを
生み出しているようにも感じる。そんな宮本さんの笑顔は、
これからますます多くの人の心をあたたかくしていくことだろう。
宮本優香さんプロフィール
1976年9月5日東京生まれ。フェリス女学院大学卒業後、
宮崎放送の局アナを経て独立。TBSニュースバードキャスターに。
現在は、千葉テレビ・TVK「青春グラフティー倶楽部」でMCを担当。
KNTVで韓国の音楽を紹介する「K-POPヴィンテージ」でVJ担当。
趣味は韓国語。韓国映画は160本は観たというほどの韓国通。
もう一つの趣味は料理で最近は餃子にはまっている。
血液型はB型。
メールマガジン配信日:2008年8月28日
ミニ交流会開催日:2008年9月16日