001 バリトンサックス奏者 長島 一樹 さん
今回は世界最高レベルのJAZZビッグバンド「One O’Clock Lab
Band」に日本人初のメンバーとして在籍したバリトンサックス奏者、
長島一樹(31歳、通称KAZUO)さんにジャズとの出会いからテキサス
留学、そしてこれからのジャズへの想いを伺いました。
偶然が叶えたサックスとの出会い
中学校の頃は久保田利伸や長渕剛など、ごく普通にJ-popを聴いて
いたという長島氏。 「自分が聴く」ではなく「人に聴かせる音楽」を
始めたのは高校のときだった。すでに吹奏楽部に在籍していた姉の
影響や、「楽器ができると人生が楽しそう」という漠然とした気持ち
から自身も吹奏楽部へ。なんと入部当初はホルンの担当だったという。
サックスとの出会いは、急に退部したサックス担当者の代わりにという
偶然。「あのときの退部者がいなかったら、今の私はないと思います」
と長島氏は笑いながら語る。「なんとなくモテそうな楽器」として、
長島氏が密かに希望していたサックスと出会った記念すべき瞬間だった。
大手都市銀行を辞め、Jazzの本場テキサスへ
高校卒業後、早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラでの演奏活動
を経て、就職氷河期の中、2000年に大手都市銀行に就職。平日は
朝8時から夜9時まで決まった業務をこなしながら、毎月のライブは
欠かさない日々が1年ほど続いた。しかしあるときふと、いつの間に
か人生に対して受け身になっている自分に気づく。ライブでの演奏
にも、大学時代の勢いや情熱を失いつつあった。「このままでいい
のか」「自分の人生はこんなもんじゃない」と悩み、好きなJazzを一生
続けることを心に決め退職。以前からあこがれていた世界最高のビッグ
バンド「ワン・オクロック・ラブ・バンド」を持つUNT(University
of North Texas)ジャズ科サックス専攻入学への留学を決め、2002年
8月テキサスに渡った。
原点の楽しさに帰って挫折を乗り越えたテキサス時代
テキサスではたくさんの挫折があった。教授から自分の演奏にきつい
ダメ出しをされるのは日常茶飯事。多くのライバルと競い合いながら、
厳しいオーディションを通ってやっと上のクラスのバンドメンバーに
なれたにも関わらず、演奏を披露した途端にメンバーから外される
ということもあった。この頃はプライベートでも変化が激しかった時期。
失恋も重なり、失意のあまり楽器に触れることができなくなってひと月
が経った。「このまま止めてしまうのか」という考えが頭をよぎった。
しかしライブなど、自分の気持に関わらず「吹かなければ行けない場」
に立つ事で、「Jazzが好き」という自身の原点を確認することができた。
そして06年8月、ついに最高位である ワン・オクロック合格(UNTには
全部で9オクロックのレベルがあり、ワン・オクロックはそのトップである)
07年5月にはLAB2007のレコーディングに参加。ワン・オクロックのメンバー
としては初の日本人となった。
人生が滲み出るJazzだからこそ、演奏にゴールはない
そして2008年の春、帰国。翻訳関連サービスのベンチャー企業に勤める
傍ら、毎月数回のライブをこなしている。「Jazzは年を重ねると、演奏に
人生が滲み出てくるものなんです」と語る長島氏。30代の長島氏は、この
年代なりの緩急を演奏で表現できるようになったという。そんな長島氏も
大学時代は、迷いのない勢いの演奏で観客を魅了していたこともあった。
「大事なのは止めないことなんです」と力説する長島氏の表情には、
これからも変わって行く自分自身への好奇心があふれている。
本能と理論が融合されたJazzを創りたい
長島氏によれば「Jazzが難しい」といわれるのは、数学的な解釈でJazzが
学問化しているためだという。現代の最先端Jazzは、一般的な人がイメージ
する、50年代のメロディックで ソウルフルなJazzとは遠く離れ、理論が
わかる人しか楽しめなくなっている。
長島氏が目指すのはJazzy+先進性のバランスがとれた演奏。新しい試み
を取り入れながらも、聴いてる人の身体が自然にスウィングしたり、心に
沁みるメロディーのあるJazz。本能と理論が融合されたJazzといっても
よいだろう。
止めてもまた始めればいい。続けることで見えてくるものがある
ゴールはなく、そのときどきで表現できるものが異なるJazz。
「続けていれば何かに出会える。途中休んだとしてもまた始めれ
ばいい」と語る長島氏の言葉には、孤独な異国の地で挫折を乗
り越えてきた深みがある。テキサス行きを決意したときから長島
氏が自身に約束した「とにかく止めてはいけない」。この志を持
ちながら演奏し続ける限り、いつか「バリトンサックスといえば
長島!」として、多くの人を感動させる演奏を生み出すことだろう。
<長島 一樹氏 プロフィール>
1976年10月31日 埼玉県生まれ。2000年に早稲田大学政治経済
学部卒業。早稲田大学在学中は「ハイソサエティ・オーケストラ」
に所属し、高校の吹奏学部で始めたバリトンサックスで頭角を現す。
マネージャー、コンサートマスターを務め、「山野ビッグバンドジャズ
コンテスト」、「浅草ジャズコンテスト」の連続優勝に導く。卒業後は、
大手都市銀行へ入行したが翌年退職し、02年8月、世界最高の
ビッグバンドを擁するUniversity of North Texasジャズ科サックス
専攻入学。06年8月、ついに ワン・オクロック合格。07年5月には
LAB2007のレコーディングに参加し、ワン・オクロックのメンバー初の
日本人となった。07年12月卒業。在学中の05年6月から、
ダラスNo.1バンドEmerald City Bandに所属していたが、08年3月
退団し帰国。好きなアーティストは、ロニー・キューバー(BS)。
大の巨人ファン。
メールマガジン配信日:2008年7月31日
ミニ交流会開催日:2008年8月25日
Band」に日本人初のメンバーとして在籍したバリトンサックス奏者、
長島一樹(31歳、通称KAZUO)さんにジャズとの出会いからテキサス
留学、そしてこれからのジャズへの想いを伺いました。
偶然が叶えたサックスとの出会い
中学校の頃は久保田利伸や長渕剛など、ごく普通にJ-popを聴いて
いたという長島氏。 「自分が聴く」ではなく「人に聴かせる音楽」を
始めたのは高校のときだった。すでに吹奏楽部に在籍していた姉の
影響や、「楽器ができると人生が楽しそう」という漠然とした気持ち
から自身も吹奏楽部へ。なんと入部当初はホルンの担当だったという。
サックスとの出会いは、急に退部したサックス担当者の代わりにという
偶然。「あのときの退部者がいなかったら、今の私はないと思います」
と長島氏は笑いながら語る。「なんとなくモテそうな楽器」として、
長島氏が密かに希望していたサックスと出会った記念すべき瞬間だった。
大手都市銀行を辞め、Jazzの本場テキサスへ
高校卒業後、早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラでの演奏活動
を経て、就職氷河期の中、2000年に大手都市銀行に就職。平日は
朝8時から夜9時まで決まった業務をこなしながら、毎月のライブは
欠かさない日々が1年ほど続いた。しかしあるときふと、いつの間に
か人生に対して受け身になっている自分に気づく。ライブでの演奏
にも、大学時代の勢いや情熱を失いつつあった。「このままでいい
のか」「自分の人生はこんなもんじゃない」と悩み、好きなJazzを一生
続けることを心に決め退職。以前からあこがれていた世界最高のビッグ
バンド「ワン・オクロック・ラブ・バンド」を持つUNT(University
of North Texas)ジャズ科サックス専攻入学への留学を決め、2002年
8月テキサスに渡った。
原点の楽しさに帰って挫折を乗り越えたテキサス時代
テキサスではたくさんの挫折があった。教授から自分の演奏にきつい
ダメ出しをされるのは日常茶飯事。多くのライバルと競い合いながら、
厳しいオーディションを通ってやっと上のクラスのバンドメンバーに
なれたにも関わらず、演奏を披露した途端にメンバーから外される
ということもあった。この頃はプライベートでも変化が激しかった時期。
失恋も重なり、失意のあまり楽器に触れることができなくなってひと月
が経った。「このまま止めてしまうのか」という考えが頭をよぎった。
しかしライブなど、自分の気持に関わらず「吹かなければ行けない場」
に立つ事で、「Jazzが好き」という自身の原点を確認することができた。
そして06年8月、ついに最高位である ワン・オクロック合格(UNTには
全部で9オクロックのレベルがあり、ワン・オクロックはそのトップである)
07年5月にはLAB2007のレコーディングに参加。ワン・オクロックのメンバー
としては初の日本人となった。
人生が滲み出るJazzだからこそ、演奏にゴールはない
そして2008年の春、帰国。翻訳関連サービスのベンチャー企業に勤める
傍ら、毎月数回のライブをこなしている。「Jazzは年を重ねると、演奏に
人生が滲み出てくるものなんです」と語る長島氏。30代の長島氏は、この
年代なりの緩急を演奏で表現できるようになったという。そんな長島氏も
大学時代は、迷いのない勢いの演奏で観客を魅了していたこともあった。
「大事なのは止めないことなんです」と力説する長島氏の表情には、
これからも変わって行く自分自身への好奇心があふれている。
本能と理論が融合されたJazzを創りたい
長島氏によれば「Jazzが難しい」といわれるのは、数学的な解釈でJazzが
学問化しているためだという。現代の最先端Jazzは、一般的な人がイメージ
する、50年代のメロディックで ソウルフルなJazzとは遠く離れ、理論が
わかる人しか楽しめなくなっている。
長島氏が目指すのはJazzy+先進性のバランスがとれた演奏。新しい試み
を取り入れながらも、聴いてる人の身体が自然にスウィングしたり、心に
沁みるメロディーのあるJazz。本能と理論が融合されたJazzといっても
よいだろう。
止めてもまた始めればいい。続けることで見えてくるものがある
ゴールはなく、そのときどきで表現できるものが異なるJazz。
「続けていれば何かに出会える。途中休んだとしてもまた始めれ
ばいい」と語る長島氏の言葉には、孤独な異国の地で挫折を乗
り越えてきた深みがある。テキサス行きを決意したときから長島
氏が自身に約束した「とにかく止めてはいけない」。この志を持
ちながら演奏し続ける限り、いつか「バリトンサックスといえば
長島!」として、多くの人を感動させる演奏を生み出すことだろう。
<長島 一樹氏 プロフィール>
1976年10月31日 埼玉県生まれ。2000年に早稲田大学政治経済
学部卒業。早稲田大学在学中は「ハイソサエティ・オーケストラ」
に所属し、高校の吹奏学部で始めたバリトンサックスで頭角を現す。
マネージャー、コンサートマスターを務め、「山野ビッグバンドジャズ
コンテスト」、「浅草ジャズコンテスト」の連続優勝に導く。卒業後は、
大手都市銀行へ入行したが翌年退職し、02年8月、世界最高の
ビッグバンドを擁するUniversity of North Texasジャズ科サックス
専攻入学。06年8月、ついに ワン・オクロック合格。07年5月には
LAB2007のレコーディングに参加し、ワン・オクロックのメンバー初の
日本人となった。07年12月卒業。在学中の05年6月から、
ダラスNo.1バンドEmerald City Bandに所属していたが、08年3月
退団し帰国。好きなアーティストは、ロニー・キューバー(BS)。
大の巨人ファン。
メールマガジン配信日:2008年7月31日
ミニ交流会開催日:2008年8月25日