この鳥ブログ界は文鳥の日で溢れている。
何故、10/24が文鳥の日なんだ。
文鳥の日たる所以は知らない。
知る気もない。
確かに、文鳥は賢く、美しく、そして、人間を愛してくれる。
我が家のオス文鳥もご多分に漏れず、人間を愛し、人間から愛されている。
しかし、たかだか文鳥なのだ。
僅か24gのちっぽけな体。
ふん、文鳥の日なんて興味もない。
それよりも、アキクサインコの日を作るべきなのだ。
人間なんかに媚を売らない。
人間に体を触らせない。
耳はある筈だが、名前を呼んでも聞き流す。
立派な羽があるのに、あえて走ることで体調維持に努める。
我が家のアキクサインコを見るがいい。
壁掛け時計をくつろぎの場所とし
カレンダーの縁を瞑想の場所とする孤高の存在なのだ。
こんなことが、文鳥なんぞにできるだろうか?
答えは、NOだ。
文鳥は所詮、その程度の存在。
ただ・・・・・
文鳥の耳は飼い主の声を拾う。
放鳥を求め鳴き続け、そして、歌う。
小さな体で、飼い主を待っている。
そして、飼い主の手の中で安心して眠りにつく。
見ようによっては、文鳥が愛される理由も理解できなくはない。
[岩陰]・ω・` )
いや、正直に言えば、アキクサインコでは太刀打ちできない。
(太刀打ちできない・・・・実力差が有りすぎて、まったく張り合うことが出来ないさま)
でもである、せめてアキクサインコの日があっても良いのではないか?
だから10/24の片隅に、アキクサインコの日と表記できないだろうか?
アキクサインコという、呼んでも来ない、カキカキさせてくれない、
それでも、控えめに人間とコミュニケーションを取る大人しい鳥を忘れないために。
極々小さく、虫眼鏡で見ないと分からない程度に表記を・・・・