昨日の夜中にBSでカラヤンのドキュメンタリーをやってました。特に見るつもりはなかったのに見始めると面白くてついつい最後まで見てしまいました。カルロス・クライバーのドキュメンタリー(これもBSでやってましたが)を作った人が、その評判が良かったためか、同じような手法を今度はカラヤンに応用してみた、ということでした。生前のカラヤンのいろんなVTRを様々な関係者達(一緒に仕事をした録音技師やベルリンフィルのメンバー、アンネ・ゾフィー・ムターなど)に見せて彼らのコメント(リアクション)を繋げていくというやり方です。
恐ろしく細かいところまで録音の調整(修正)にこだわるカラヤンの完璧主義者(あるいは偏執的なまでのコントロールフリーク)ぶりにはある種の感動を覚えました。見栄っ張りは見栄っ張りだったようですが、常人とは比較にならない高いレベルの矜持をもって仕事をしていたことは事実のようです。鼻持ちならない自信家ではありましたが、それを正当化するに十分なエネルギーと情熱を注ぎ込んでいました。それだけに彼の晩年のインタビューやエピソードには痛ましいものがありました。健康の悪化とそれによる能力の低下、かつて出来たことがもう出来なくなってきたという自覚は、これまた常人の想像を超える程に彼の内面を破壊してしまったようです。
晩年のカラヤンは自らがもう自信を失ってしまったことを隠そうとしていませんでした。彼が行った最後の練習についてのエピソードを語っていた人がいました。その時カラヤンは最後の音が消えた後も固まってしまったかのように暫く指揮棒を動かさず、そのままバトンを落とし、異常に気付いた団員が人を呼びに行ったそうで、次の練習にはもう現れなかったとのことでした。これが「帝王」の最後だったとは。最近はカラヤンを聞くこともありませんが、久し振りにいろいろ聞いてみたくなりました。残念ながら、カラヤンは今では、死んでから聞かれなくなった演奏家の一人という位置付けになってしまっているようです。いつの日か再びカラヤンブームが起こることがあるのでしょうか。まぁあの豪華絢爛絶頂期のカラヤン・ベルリンフィルサウンドを折に触れ懐かしんで聞いてみたくなる人は少なくないのでは、とは思われます。
ムターが語っていたのですが、カラヤンの生誕100年を記念したコンサートが催され、小澤とムターとベルリンフィルが共演したそうです。小澤がカラヤンのような音を出していた、とムターが言っていましたが、これは素直に褒め言葉ととっていいのかどうか?そのコンサートの映像がありました。これだけではカラヤンの音かどうかは判別のしようがありませんが。
http://www.youtube.com/watch?v=cUPxjneFEMY