「嫌われる」前提はいらない! | 助産師&フォトグラファー Yuriko Tanada(棚田優理子)

助産師&フォトグラファー Yuriko Tanada(棚田優理子)

助産師
HyonoBirthing®︎Institute公認ヒプノバーシングプラクティショナー
フォトグラファー

愛知県を中心に活動中

ゆりこです!


最近ね…

なんとなくですが『嫌われる勇気』を美徳とする考えが増えているように思うのです。

あ、因みにそのタイトルの本は私は読んでないので内容は分かりません…


誰かに何かを伝える時に
言いづらいことだったりすると「嫌われる覚悟で伝えるわ」とかよく聞きます。



『嫌われる勇気』を掲げて強がるより
『嫌われたくない寂しさ』を認めて感じてあげればいい


って何かで見たけど。。。



そもそもなんで嫌われる前提なんだ!?


だって
最初っから嫌われようとして何かをしたり何かを言ったりしてないよね!?



誰だって嫌われたくない

それは当然だと思う!!!


自分の見たくない部分のこととか
言われたくないこと言われた時

相手のフィルターに自分の言った何かが引っかかると、

ムカつく!
信じられない!
もうやだ!

って感じで距離を置かれることも離れていくこともあるけどさ



「嫌われる」前提で話しをしてたらそりゃあ嫌われるさ!



何かを伝えようとする時に一方的に自分の感情だけで言うのではなくて、
相手が受け止められる状態かを見極めた上でっていうのが大前提での話しね



思考は現実化するんだから
だったら最初から「嫌われる」って前提自体がいらなくない?



結果的に相手が離れていくこともあるけど
それはただ単に自分と方向性が違ったっていうだけで
嫌われてるわけではないことが多いのかも。


逆も然りで
誰かから自分にとって厳しいことを言われて一時的に感情が逆撫でされても
嫌いにはならなくない?


嫌いになるって結構大変だから…


腹が立つことがあったって

何も言わずに離れていったて

嫌いにはならないと思うんだ

寂しいけどね…



それで嫌いになったら嫌いになったでしょうがないと思うし
嫌われたら嫌われたで
それはそれでいいんじゃないかな~




なんてふと思ったので書いてみました。




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