末っ子の寝かしつけを終えてシャワーから出た時、冷え切った空気の匂いで察した。
「あ、また機嫌が悪いな」と。
リビングに入ると、案の定、妻が苛立ちを隠そうともせずに吐き捨ててきた。
「娘がずっとテレビを占領してる。最悪。さっさと寝てよもう」
わざと娘に聞こえるように言う。
サッカーのアジア大会。延長後半10分。1対1。
試合の中で一番熱狂的で、ファンなら絶対に目を離したくない局面だ。
そこには、食い入るように画面を見つめる次女の姿があった。
その光景を見て、俺の胸に去来したのは怒りではなく、冷めた既視感だった。
時計の針を数年巻き戻す。 かつて上の娘がまだ家にいた頃、我が家のリビングは完全に「別の世界」だった。
妻と上の娘は特定のアイドルグループに夢中で、朝から晩まで延々とミュージックビデオが爆音で流れていた。
スポーツが好きだった俺は、その空間にいることすら息苦しかった。
「スポーツの試合が見たい」と口に出すことすら許されない空気。
「子どもが楽しんでいるんだから邪魔するな」という暗黙の同調圧力。
リビングは完全に彼女たちの領地で、俺の居場所はどこにもなかった。
だが、俺は一度たりとも「嫌いだから消してくれ」とは言わなかった。
波風を立てるのが嫌で、ただ静かにリビングを離れ、自分の部屋に引っ込んでやり過ごしていた。
それが家族という共同生活を維持するための、大人のマナーだと思っていたからだ。
あれから時が経ち、子どもたちの好みが変わり、リビングでスポーツ中継が流れる機会が増えた。 要するに、形勢が逆転しただけなのだ。スポーツが多数派になって、アイドルが少数派になった。
それなのに、妻は耐えられない。
自分が少数派になり、自分の見たいものが流れていないというだけで、あからさまに不機嫌を撒き散らす。
「君も、昔の俺みたいに部屋を出ていけばいいだろ」 喉元まで出かかったその言葉を、かろうじて飲み込んだ。
結局のところ「子どもの好きなことだから」なんて殊勝な教育方針など最初から存在しなかったのだ。
あるのはただ一つ、「自分の機嫌が最優先」という身勝手なルールだけ。
結局、次女は妻から「こんなのずっと見させられるの嫌なんだけど!」と怒声を浴びせられ、気まずそうに自分の部屋へと戻っていった。延長前後半、1対1で終わった後のPK戦。一番見たかったはずの結末を奪われて。
思わず俺は口を挟んだ。
「お前が嫌いなのは分かるけど、楽しんでる子どもに当たるのは違うだろ」
返ってきた妻の言葉に、俺は絶句した。
「じゃあ、誰に言えばいいの?」
……誰にも言わずに飲み込むんだよ。 我慢するんだよ。大人は。
俺がこの何年間、お前の機嫌を損ねないためにずっとそうしてきたように。
自分の機嫌は周りが取って当たり前。自分が不快なのは他人のせい。
その甘えのツケを、なぜ何も悪くない子どもが払わされなければならないのか。
毒を撒き散らす人間は、自分が毒を吐いていることすら気づかない。