ふと気づけば、末っ子の一日はほぼすべて「パパ」で回っている。

「パパ、歯を磨いて」

 「パパ、起きて、遊ぼう」 

「パパ、どこか連れてって」 

「パパ、お腹すいた。ご飯食べたい」 

「パパ、眠い。一緒に寝よう」

 

何かあるたびに、小さな手で俺の服の裾を引っ張ってくる。 

理由は単純だ。

子どもは本能で分かっているのだ。

「ママはやってくれないけれど、パパなら受け止めてくれる」

ということを。

 

たまに、妻が面白くなさそうにぼやくことがある。

 「うちの子はみんなパパッ子だよね。私の言うことは全然聞かないのに」

……そりゃそうだろう。 

何の手間もかけず自分の機嫌と都合でしか子どもを見ない人間に、懐くはずがない。

 種も蒔かず、水もやらず、ただ放置していた畑から、どうして収穫ができると思っているのか。

 

誰が毎朝眠い目をこすって起きて、誰が砂まみれになって公園を走り回り、誰が毎晩風呂に入れて寝かしつけてきたと思っているのか。

子どもからの信頼は、口先や血の繋がりでタダで手に入るものじゃない。

俺が自分の時間を削り、すり減らしながら注いできたコストの結晶だ。

 

理不尽な搾取システムの中で、俺の週末は確かに奪われている。 

だが、末っ子が満面の笑みで俺の胸に飛び込んでくるたびに思うのだ。

お前がベッドで泥のように眠りこけている間に、俺が得たものだ…と。