このブログを書くためにキーボードに指を置いたのは、実はこれが初めてではない。

 

下書きを作っては消し、タイトルだけ決めて放置し、ログアウトして画面を閉じた。 

 

そんな「途中で手を止めた痕跡」が、このアカウントの奥底にいくつか沈んでいる。

 吐き出したい感情はマグマのように煮え滾っているのに、いざ文字にしようとすると、どこか冷めた自分がブレーキをかけていたのだ。

 

「こんなことを書いて何になるのか」 「誰に読ませたいのか」 「ただの惨めな中年男の愚痴じゃないか」

 

そうやって自分を納得させ、理不尽に満ちた日常という名のぬるま湯――

いや、毒の水たまりに戻っていく。それがこれまでのパターンだった。

 

今回だって、どうなるかは分からない。 また数記事書いたところで、ふっと更新が途絶えるかもしれない。

もし次にこの更新が止まったとしたら、理由は二つのうちどちらかだ。

 

一つは、文字を打つ気力すら削ぎ落とされ、完全に心が折れて思考を止めたとき。

 もう一つは、この歪んだ生活を「まあ、これでも悪くないか」と無理やり自分に言い聞かせ、毒に麻痺して生きる道を選んだとき。

 

どちらに転ぶとしても、それは敗北のようなものだ。

夫婦関係の完全な冷え込み。

身内が背負わせた重い負債。

そして何より、自分自身の苛立ちをコントロールできず、幼い子どもたちへと理不尽に毒を向け始める配偶者の姿。

外では何食わぬ顔でサラリーマンをやっている。社会人としての仮面を貼り付け、今日も頭を下げ、家族のために金を稼いで帰る。 

だが、玄関のドアを開けた先に待っているのは、安らぎの我が家ではなく、息を潜めて歩かなければならない地雷原だ。

この記録は、誰かを無意味に傷つけるための告発ではない。 ましてや「可哀想な俺」を演出して同情を買うためのものでもない。

ただ、毒に侵され、麻痺しかけている自分を正気にとどめておくためのもの。 

耐え忍ぶだけの父親で終わるのか、それともこの歪んだ現実と向き合い、守るべきものを守るために何かしらの爪痕を残せるのか。

中年サラリーマンの、静かな悪あがきをここに書き残しておく。