人事論(上) | 哲史の部屋

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たった一度きりの人生なので、後悔なく、おもいっきり楽しく生きたいもの。そのために、こんな考え方、あんな考え方もあるってことをたくさん語っていきたいって思っている。

毎年、今の立場が立場だけに、定期的に部下の人事評価を行っているのだが、人事について、疑問に思うことや本来あるべき理想の姿について、述べたいと思う。

働いている、どの職場において、人事部門は存在すると思う。

自分が人事部門に所属したことがないから、詳しい業務内容は分からない。

でも、職員を募集して、面接を行うのは、必ず人事部門主導であるのは間違いない。

面接では、当該部門の関係者が同席するケースはあるだろうが、当然ながら、人事部門で最終決定し、採用の可否を決める。

そして、辞める時だって、最終的には、人事部門が決定する。

しかし、人事評価となってくると、人事部門は人事評価シートなどを準備するだけで、あとは、その人が働いている部門へ、評価を丸投げしているように感じる。

いわゆる人事部門は、数字でしか、人を評価していない気がする。

人を評価するには、必ず公平な目が必要だし、評価項目だけでは、その人の本当の評価はできないと俺は思っている。

そんな人の評価を、うまくできないのが人間ではあるから、人事評価シートみたいなものが存在するんだろうが。

人事評価においては、公平性がポイントであるのに、評価をする人によって、その人の評価が変わってしまうのが、人事評価の良くない点であると俺は思っている。

組織が大きくなければ、同じ人間がやることになるので、ある程度、評価に対する公平性は保てるとは思うが、組織が大きければ、一次評価と二次評価があった場合、どこも分担して評価をすると思う。

そうは言っても、人の評価に関して、公平な目を持っているのは、人事部門でなかろうか。

俺は、そんな風に思う。

組織においては、部長、課長、係長、主任などという感じで、いろんな職位があるが、組織をマネージメントする義務は当然ある。

でも、人事評価は別次元、別仕事であると思う。

中には、正当な人事評価ができる人がいるが。

一人一人の仕事っぷりを、評価項目に沿って、詳しく観察しながら、日常業務はできる人はいない。

そもそも、最初から、この人の人事評価は、あなたが適任だから、担当だから、よろしくという話ではなく、ある日、突然やって来るのが、人事評価というもの。

こんなんで、人の評価をしていいのだろうか。

いや違うと思う。

もっともっと人事部門の関与が必要だと思っている。

評価によって、その人の将来が左右されることだってあるのだから。

人事部門で働いている人は、人事のプロであって欲しいと思う。

俺の理想としては、組織体制もそうであるが、縦糸・横糸の関係が重要なんだと思っている。

人事部門からの出向でもいいし、それぞれの部門において、人事に長けている人材を育てるのもいい。

とにかく、日々の職場環境において、人事的なマインドを持つ人を組み入れるのだ。

そうすることによって、間違いなく、組織は活性化し、職場環境は今より良くなり、日々改善していくのだ。

今、世の中で問題になっているハラスメント問題であっても、人事部門の介入があれば、未然に防ぐことも可能であると思っている。

まだまだ語り尽くせないので、つづく。