ドライフルーツのブログ -17ページ目

ドライフルーツのブログ

ブログの説明を入力します。

忍耐という言葉が好きではなかった。

 

子供のころに抑えつけられていたという記憶…

(それも勘違いではあるのだが…)

子供の時に我慢していたという記憶と

『忍耐』という言葉のイメージがダブって、

好きになれなかった。

 

しかし、先日ふと、

 

『忍耐とは、感情に流されないことだ』

 ということに気が付いた。

 

私たちは、

ある程度、感情に流されないことが重要だと思う。

 

感情に流されると、理性を失い、

自分の激情に押し流され、抑えがきかなくなってしまう。

 

 

では、

『考えるな感じるんだ。』

 と言う、あの有名なセリフは…どういう意味か

 

一方、

『感情を押さえつけてはいけない…』

 と言うのの違いは何か…どういう意味か…

 

 

その辺りを整理してみた。

 

 

感情は抑えつけるものではないということ、

ただ、他人に向かって放つるものでもないこと、

流すものであり、流されるものではないこと。

 

他人に向かい放つものでなく

自分の内側で味わい

燃焼させるもの

全ての感情は、エネルギーであり

燃料と同じく燃焼する

 

 

感情を流すというのは、

自分の内側で感情を静かに燃焼させること

それは、自分に向かうということ、

自分の中で感情を流し、静かに燃焼させること。

 

 

静かに燃焼させるのは、

ストーブの仕組みと同じ、

燃料を静かに供給し効率よく燃やしてやると、

身体があったまるのと同じ。

安全に使用できる。

 

しかし、感情に流されるのは、

あたかも、ガソリンを圧縮して

火を点けるようなもの。

爆発して怪我人が出る。

 

だから、感情に流されて

爆発しそうになった時は、

忍耐が必要ということだ。

 

その忍耐のあと、静かに内に向かい

感情を燃焼させる。

 

 

 

ただ、意識的に…

(賢者テラさん的には、確信犯的に、というが…)

 感情を爆発させるのは、また話が別。

 

相手の成長を願い、感情を出させてやる。

そのための、爆発のフリなら結構。

 

 

まあ、無意識に流されないことが

肝要ということです。

 

 

それでは今日は、この辺で

また明日お会いしましょう。

やりたいことを、やっているか?
やりたいことを、やって来たか?

 

今朝、知人のお母様が土曜日に亡くなられたと聞いた。

明日お通夜で身内だけで執り行われるということだったので

会社の帰りにご自宅に伺いお線香をあげさせていただいた。

8911ヵ月ということで、あと一か月で90才だったのに

…と知人…

 

一方、今年も押し迫ってきて年賀状の時期で、色々な方から、
ご親族の訃報が届く、

 

人は、死ぬのだなあ。と改めて思う。

 

それぞれ、どんな人生だったのだろうか…

 

また、最近、鏡を見るにつけ、顔には皺が増え、

よわいだけは重ねるが、気持ちは、若い時

…というより、幼い時とそう変わらない。

 

人は年齢は重ねるものの、精神的にはそれほど成長しない。

 

人と人とのつきあいの中で人間関係については、
いろいろ学び、その意味では、多少の成長はあるものの、

基本的に、驚くほどの成長が、ない。

 

であれば、好きなように生きよう。

やりたいことをやろう。

快適を求めよう。

笑ってくらそう。

 

83才になる父が、何か月か前に、わたしの娘と話している時…

 

つくづく…、

 

何かやりたいことを見つけなよ。

お爺ちゃんなんか、この齢になってもやりたいことが見つからない…

と言っているのを聞いて驚いた…

 

父は若いころ毎日遅くまで仕事をしていた。
私の小さいころは、父は組合の常任委員をしていたので、
毎晩午前様だったと母から聞いていた。

そして、几帳面な父は、真面目に働き60歳で定年を迎え

それからは、家で何年も菊造りをしていた。

十年以上は菊づくりをしていて、結構うまく菊を育てている。

 

では、その趣味の菊造りが生きがいなのではないかというと、
そうでもないらしい。

 

好きで造っている訳じゃはないよ…

 

周りの人がほめてくれたり、するので、続けているけど…

と聞いて、驚いた…

好きでやってるわけじゃない…

 

人に褒められるため…?

 

てっきり、菊づくりは、楽しくてやっているのかと思っていた。

 

そうやって、皆、人生を終えていくのだろうか…

 

 

自問自答してみる。

 

今、やりたいことをやっているか…

 

今を楽しんでいるか…

 

僕は、いま、

100日ブログと

100日掃除を始めて、

約一か月が経った。

 

毎日、毎日、一日づつ達成していて、

その達成感も、今は楽しみの一つだ…

 

そして、皆が集まるリビングで書いているのだが、

皆の声が気になるときは、youtubeで好きなヴァイオリンを
聞きながら書くのも楽しみの一つになっている。

 

さて、100日続けたら何か起こるのか…

何も起こらないのか…

 

いずれにしても楽しみだ…

 

今日は、この辺で

また明日お会いしましょう

 

寝るの時の気持ちが、起きてからの気持ちにまで影響する

 

昨夜、

眠い眠いという感じで、やりたくないこと

でもやらなければいけないと思っていることを

先送りにして、早くやらなければいけないなぁ

今日やらなければいけなかったんだが…

と思いながら、眠りについた。

 

夜中、家内が床に就くときに

私に話かけたとき

暑苦しそうに、着ている上着の

ファスナーを乱暴におろして、

体を左右にゆすり、暑苦しそうに

あぁ゛ー と、言っていて

 

何か乱暴そうに感じたとのことだった。

 

 

今朝も起きてから、昼過ぎまで、

気持ちが沈み気味だったのは

そのせいだったのかと…

 

家内から、寝るときの気持ちを聞かれ…

だから、そういう感じだったんだねぇ

と納得していた。

 

寝る前の

心の向きがどちらに向いているかが

寝ているときの気持ち

そして、起きてからの気持ちに影響するんだねぇ

 

昔、子供が寝る前に

寝る前に怒られたりすると

寝ているときに

『お母さんごめんなさい…』

と、寝言で言っていた。よ…

 

寝る前の心の方向づけが大切なんだねぇ

 

居眠り運転の車を見ていればわかる

ハンドルを切って眠ってしまうと

車は、止まるまで、そちらの方向に

進み続けるでしょ

 

それと同じだとっきたよ。と家内の言葉。

 

そして、もう一言…

 

そういう気持ちをずっと放射し続けていると

誰かしら受け取る人がいるよ。

自分で言っていたでしょ。

チェーンメールだって、

不幸の手紙は、自分で打ち止めにする!って

 

はい。その通り…

 

きっと、自己イメージが影響していると思うよ

自分のこと、どう思っている?

 

ダメな奴!

仕事ができないかなぁ

 

でしょ。でも、そういっているのは、

本当の自分じゃなっくて

他人が言っているんだよ。

価値がないと思っているんだね。

と、他人が言ってるんだよ。

 

それも、他人のたわごとだよ。

気にする必要ないよ。

あぁ。そう思っている人がいるんだなって

(きっと、他人というのは自我チャンのことでしょう…)

 

 

そう言って、本当は、

慰めてもらいたいんだけなんでしょ。

子供もそうだよね。

 

それよりも、気持ちを切り替えたら

やらやきゃいけないことなんてないよ。

やりたくなければ、やらなきゃいいし、

やろうと思っていることを途中で

止めたっていいんだよ。

それよりも、憂鬱そうな顔をして

憂鬱を振りまくのを止めた方がいいんじゃない。

 

その通りです。

かぁちゃんの言う通り。

ということで、気分が晴れました。

 

 

それでは今日はこの辺で

また明日お会いしましょう。

いつものように、土曜日の朝…

 

楽しい趣味の車の洗車をしていた…

そろそろ、始めて1時間半を過ぎたところで

終盤にかかってきたころ

 

家内が、起きてきたのか

家の窓を少し開けて…

 

『ストーブがつけっぱなしだったよ!

 誰もいないんだから、止めておいてくれる。

 

 チャンと消してておいてよ!!!

 危ないし。

 モッタイナイじゃない。』

 

家内は普段優しいので、言い方としては、結構ソフトなのだが、

 

心に刺さった…

 心の中では、言い訳をしたい自分が出て来ていた。

 穴があったら入りたい感覚の自我さんも出てきた。

 

 

心に刺さった理由は、自分が一番そう考えている…

と思ったからだ…

 

 

自分が、なぜそう考えるのかよくよく考えてみた

 

最近、無意識にものごとを扱ったり行ったりする時に

後悔することが多い

 

 先週も、洗車のあとにバケツを無理やり狭い格納場所に

 押し入れるときに、バケツの端を割ってしまった

 十数年前にスタンドの景品でもらってきて、

 長い間使っていたバケツで…

 それまで割れずに使用してきたのに…

  いつも家にいて家事をやってくれている家内は、

 モノの取り扱いが丁寧で、

 決してゾンザイに取り扱ったりしないため

 モノを長く使用する名人だ…

 そのように、丁寧に意識的に物事を

 取り扱いたいと思った…

 

 

 昨日も仕事中に、重たい荷物を無理やり持ち上げ

 通常、2箱持つところを、面倒だ…

 エイッとばかりに4箱持ち上げた…

 持ち上げたはよいが、やはり重い。

 下に置くときに加減ができず、置いたときに

 ももの肉を持っていた箱と箱の間に挟んで

 痛い思いをした。

 

 今回の場合もそうだ、

 洗車をするのに、いつもなら、7時ごろ始めるところ

 今日は、7時半ごろになっていて、なぜか遅れてしまった

 と感じて、時間を焦ったのか…

 そそくさと、バケツにお湯を汲み

 洗車を始めたことを思い出した…

 その時に、つけていたストーブには意識が向かわなかった…

 

 

いずれの場合も、私の場合は、

時間を焦っていることで、四方に気を配れずに

失敗した…と後悔することが多いことに気が付いた。

 

 

時間を焦る。それが、私の場合の課題のような気がする。

特に時間の余裕がないと感じてしまう時に…

モノをゾンザイに扱ったり…

その扱いが原因で、後悔することが多いことに気が付いた…

 

 

これからは、時間に余裕のないときにでも、

無理せず、焦らず、意識的に物事を取り扱いたいと反省した…

 

 

しかし、今までは変えられなかった…

習慣や思い込みというのは、

そう簡単に変えることができなかった…

…というのは、焦る思いは、

無条件に感情の奥から沸き上がり…

あせり、苦しくて、胸を締め付けられる…

…からだと思う

 

 昨日も、歯科医院に行くところ、

 予約時間に対して、十分な時間の余裕がなく

 家を出た…

 そういう時に限って、前方にゆっくり走る車がいて

 いてもたってもいられず、イライラした…

 やっと、前方の車が居なくなったところで

 思わずアクセルを踏み込んだ… 

 遅れても、5分程度だというのに…

 

 

そういうわけで、

何かしらの思い込みがある以上

習慣の奴隷だ…

 

 時間に遅れたら、大変なことになる

 時間がない…

 という思い込み…

 

私の場合は

ここに、気づくことから始めようと思う

そして、なぜ、そういう思いがわいてくるのだろう

と自分の心に問いかけていきたい。

慣れてくれば、焦らない自分が実現できる可能性も高い

 

また、それとは別に、時間を焦っていると感じたときには、

なお更、意識的にモノを取り扱って行こうと思う。

 

 アクセルを踏み込む動作

 次に仕事に移るときに、やり残しはないか…

  …など、一呼吸、深呼吸して落ち着いて次の動作に

   移りたいと思う。

 

時間に遅れても

…悪いことはない。最悪、死ぬだけだ…

 

それでは、今日はこの辺で

また明日お会いしましょう。 

今朝、

家内と話していて 家内から…

『愛することはできても、
 愛されることはできない。

 人(の心)を  コントロールすることはできない。
  んだよね~』


   結局、自分がどう感じるかでしかないし、

  どう感じるということさえも、自分の選択ですらない。


  ただ感じるままに、感じてしまうだけの話なのだが…

  だから、なお更、人の感じ方をコントロールすることは
  全く不可能だ。ということだな~
     というようなことを考えていた。


  そうしたら、それに関連する答えが、早速来た。

  今朝、通勤中にyoutubeで動画を見ていたとき
   バイオリニストの五嶋みどりさんの言葉が、
    それに関連する言葉だった。

 『音楽というのは…

  …こう…いろんなとらえ方があって…  
   いろんな聞き方があって…
   感じ方…一人一人によって、

   …自由に受け取れるものだと
   …私は思います。

   ですから、反対に、
   演奏者の方から
 
    これを得てくださいとか
    これを考えてくださいとか
    これを聴き取ってください

    …というよりも、
     そのまま、自然のまま

    個人個人に…

     聞いていただければと思います。』

    (youtube44'27"頃から)



 
 世界的バイオリニストであるにも関わらず

 飾りがなく、気負いがなく、

 ただ淡々と、 真摯に、

 バイオリン演奏される姿。



 そして、まるで、
  『演奏者も観客もどちらも同列であり、
  上下の差がない。』
     と、言うように
     … その方が、仰った言葉に、只ただ、感動した。


  そして、次に、
  …では、彼女は、なんのためにバイオリンを
    弾いているのか。
 
     という疑問がわいてきた。


   …それまで、てっきり、バイオリニストは
     人々に、感動を与えたい。
     と思って弾いていると思っていた。からだ。
 

   その時、今朝の言葉
  『…愛することはできても、
    愛されることはできない。 

     他人は、コントロールできない。

 
     という言葉が、思い浮かんだ…  


   彼女は、  何のために…ではなく。

   只、弾く。
   弾きたいから弾く。
   彼女の心の中の美を最大限表現したい。  

   という欲求のままに、ただ、弾くのだ。  と思った。…  
 

   …そうしたとき、私たち聴く者は、
    只、聴く。  聴きたいから聞く。のであり

    音楽によって表現された美の中に
     自分に内在する美を体験したいのだ。

      と思った。


    演奏中に醸し出される雰囲気…
     そこには、演奏者もなく、観客もない

    ただ、えもいわれぬ演奏者と観客の
     感情と感情が、

    ハーモニーを奏で…
     倍音として感動を増幅していく…

    お互いがお互いでなくなり、
      一体となって昇華していく。


     …しかし、やがて時は過ぎ去っていく。

       何事もなかったように…
        静かに波が引いていくように。

         感動は、いつしか過ぎ去っていく。


      そうして、一つ一つ終えていくのだ。
        そして、いつしか忘れ去っていく…


     ただ、皆が忘れ去っても、私はこのときの感動を
      記憶としておぼえていたい。…


       私たちは、もっと、自分の好きなことを
       やった方がいいのではないか…

     反対の教育
      『好きなことばかりやっていてはだめだよ』
       の成果は、十分にあったはずだ。

     その教育を受け取ったからこそ、
      外れたときの感動も大きいということもあろう、
 
        これからは、反対の経験をしていきたいと思う。


         それでは、今日はこの辺で
         また、明日、お会いしましょう。


与えることで、相手の可能性を奪っている。

お金は、自分の経験を他人に渡してしまう危険性がある。

例えば、風邪を引けば、医者にかかることが当たり前。
本来、風邪などは放っておけば、じきに直ってしまう。

しかし、現在は医者に行かないと、奇異の目で見られる。

それだけ、経済的に豊かになったということだろうが、
お金を対価として、なんでも、他人に頼る時代、
他人に丸投げして、自分の経験や選択の自由さえも
他人に任せてしまうようになってしまった。


例えは、何でも構わないのだが…
手術をするのに、医者は、患者の同意書をとる。
このとき、手術するのかしないのか、本人に選択の自由があるが
その選択の自由さえも、医者の顔色を見ながらする始末で、
全く自分の自由にならない。
それが、自分の健康を他人(医者)に丸投げしてしまった結果である。

そして、手術しないという選択を選ぶことができない場合が多い。


手術というと、話が重くなるので…
風邪をひいて薬をもらったとする。
この薬を、全部飲み切ってくださいという医者の言葉を忠実に守る人が少なくない。
自分の判断を他人に任せる割には、何かあれば、医者のせいにする。
自分にとって、良い結果が得られなければ、藪医者だとか言って
自分が丸投げした責任をとらない場合がほとんどだと思う。


ひと昔前は、風邪ぐらいで病院には行かなかったが、
それでも、問題がなかった。

また、私たちの小さいじぶん(約50年前)父母の若いころは、
洗濯機がまだ出始めで、脱水は、洗濯した衣類をローラーの間を通す
ことにより、ローラーの間で圧縮されるときに脱水するというものだった
よって、ローラーを回ための手回し式のハンドルが付いていて
それで絞っていた記憶がある。


家内の母は、さらに手動で、洗濯機自体がなっく、
洗濯板で一枚一枚洗濯していたと聞いた。

また、昔の女性は裁縫に長けている方も多く、
家族が着るものは一通りなんでも自分で作ったと
聞いたことがある。


このように自分で何でもすることが絶対だとは思わないが、
すべて自分でできると、生きることに何も心配がなくなる。


現在は、なんでも揃っていて、また、手間をかけないことが、
いいとされる傾向にある。

また、与えることが良いことされ、
私もそうだが、子供たちに全てを与えてしまっている。
与えることが良いことだと思ってきたからだ。


しかし、子供達は、それを当然として受け取り、
自分で要求すらしなくなってしまった。

やってくれるのが当然、やってくれなければ、
ものすごくストレスを感じるものの、
依頼することすら出来ない。


ひどい場合は、人のせいにする。
あいつがやってくれないから私は辛い思いをする。
あいつのせいだ。…と、


ここまで書いて、
それは、子供達のことばかりではないことに気がついた。
それは、私自身に言えることであった。

自分のストレスを他人のせいにしているときは、
大抵この術中にハマっている。

しかし、他人のせいにしていることに気づいたら、
まず、課題にどのように対処するかを計画を立てればよい。
ただし、だからと言って、全てじぶんでやる必要はない。

具体的にどこまでを自分でやってみて、そのうえで、
次のことを考える。次は、どういうやり方をすればいいのか。

そのように、一つ一つ計画して、それをを実行していると、
次にこうしたらいいかも知れないと次々に工夫が生まれる。

そうして、その課題を達成した時、
清々しい気分に浸れる。達成できない場合でも、自信につながる。


その達成の成果や自信も、初めにストレスありきということを忘れてはならない。

マナさんの言う、『裏大黒を忘れるな』とはこの意味でした。
私達は、この世にこれをやりに来たのだと思う。

それでは今日はこの辺で
明日またお会いしましょう。

習慣的な思考をぶち壊す。

『もう、こんな時間だ』という思考が、
つい口をついてい出てくるのは、
習慣化した思考から発生している。

それは『時間がない』という思考だ。

『こんなに時間を浪費してしまった』
『残された時間は、あとわずか』
という思考が、あせりを誘発し、取り乱し、自分をなくしていく。

これが、いつものわたしの習慣的パターンだ。

こうなったら(というか『もうこんな時間だ』と言ったら)
こういう気分になる、という時の反応だ。

この習慣的な思考をぶち壊すには、
つい口を突いて出てしまった言葉はやむを得ないとしても、
そのまま、憂鬱な気分を持続する必要はない。


とはいっても、憂鬱な気分は悪者ではない。

なぜなら…

憂鬱な気分が発生した時に、気づくことができるからだ。
いつもの習慣的思考にはまってますよ。というサインに…

いままでは、その自動反応にすら、先ず気付かなかった。のだが…

これからは、憂鬱な気分を『また、はまっちゃってますよ』
のセンサーとして用いることした。

そういう意味では、憂鬱な気分が発生した時はチャンスである。
その習慣的思考をぶち壊すチャンスということだ。
これからは憂鬱な気分が発生した時は、『やったー』※1)と言うことにしよ~


そして…必要のなくなった習慣的思考は、
津留晃一さん式に次の手順で昇華させる。

①先ず、気分の悪さに気付く。
出てきた言葉を思い出して、さらに気付く。

②見つめる。 
 なぜ? なぜ、どうしてそういう気分になるのか?と
 なぜなぜを繰り返し、思念のエネルギーを集中させる。
 みじろぎしない。

 その思考はどこから出てくるのか
 それは習慣的思考にから出てくるのかと、
 考える。考える。考える。

 そして、決して答えを出さない… 
 答えが出てきたら、それは、なぜ?と繰り返す。

 こうして、思念のエネルギーを
 その問題に照射することによって その思考、
 本来自分ではない思考が、昇華していくのである。


  ということで、そんなことをやった今日は、
 気分よく過ごせましたとさ…
 ちゃんちゃん(^^♪
 

 それでは、今日はこの辺で
 また明日お会いしましょう。

PS 習慣的な思考をどうやってぶち壊すか 
   雨の日に憂鬱な気分になる
   晴れの日に晴れやかな気分になる
   やってみたらどうかこの逆。

  それから、思考の流れがネガティブに流れようとするときに
  望む方向に思考の流れを変えることにするのも、また、効果がある。
  (詳しくは、過去ブログ
   
思考のベクトルを望む方向に合わせる 2015-11-30  22:44:09 参照)

※1)『やったー』というのは、伊東聖鎬セイコウ先生の受け売り
   伊東先生の場合は、もっと凄い!
   背骨が折れたときに…『やったー』という人…
   いろんな所の骨を折りましたけど…
   まだ、頭の骨を折っていないですよね…
   ワクワクしますねー…
   などということを…言っていました。

今日は、嫌いな人を愛する。

というテーマを…

と、家内から提案があったので

どういうことか …考えてみました。

ある人が、あまりよく思っていない人のことを
…不幸になってほしいを思わないが、幸福になってほしいとも思わない。

ということで……出来れば、関わりたくはない。と言っていた。

そういう関係も、世の中にはあるかもしれない。
が、どちらかというと、何かを生み出す関係性は稀薄である…

まあ、会えば、普通の応対をする程度、普通っていうのは何か。

すれ違ったらあいさつを交わす程度…
差し障りのない応対のこと、

上述のような、差し障りがない対応は、空気のようなもので
…空気みたいな存在は、何もその人に影響を与えない。

そんなのつまらないんじゃないかとも思う。


…では、その逆に、差し障りのある応対は…
何かしら、その人の人生にインパクトを与え、揺さぶりをかける…
そうすることで、何かに気付かせるきっかけとなる可能性があるかも知れず…
何にも気づかないかもしれないが…

…どうせこの世は、暇つぶしなのだから。

…であれば、インパクトを与えた方が

…では、どんなインパクトを与えるか。

喧嘩することも、一つの手段だ。
文句言うことも、一つの手段だ…

そう考えると、
嫌いな人を愛するというのは、

喧嘩しようが、文句を言おうが、
その人と関わるということかもしれない。

それでは、今日はこの辺で
また明日お会いしましょう。

何気なくいう言葉。
その人に頼りたいときに、ワザワザ近くに行って、
『○○しようかな~』という言葉、
それは、その人をコントロールしようとしている。
と、家内から指摘された。

『頼むなら頼みなよ。「○○やってくれる。」って…』と言われた。

『人にモノを頼めないから、何気無くいう言葉で察してもらい、
いつの間にかやってくれていたら、ラッキーと思う気持ちがあるんだよ。
そして、それを無意識でやっていて、相手が気をきかせて
やってくれると、わざわざお願いしなくても済むので、初めのうちはいいかもしれないけど、
やってくれることが、常態化すると、次に、やってくれなかったときに、文句がでるようになるんじゃない。』

そうそう、その通りと、ちょっとブルーになりながら、朝から反省したのでした。

人にモノを頼めないというネタは、以前のブログにも書いたが、まだ腑に落ちていなかった。
今回も完全に腑に落ちているかどうかはわからないが、今日行ったワークの結果と気付きを書いてみたい。


私は、人にモノを頼むことができにくい性格だった。
これを書いている今は、そうでもなくなったかもしれない。
少なくとも、昨日までは、人にモノを頼むことが、難しかった。

人にモノを頼むのは、借りを作ったようで、嫌だった。
そして、人からものを頼まれると、時間のかかることは、嫌だと感じるだろう。
と相手の立場…というより頼んだ後の、自分の評価が落ちることが、嫌だった。

だから、できるだけ、他人にモノを頼む前に、
自分で何とかできるかどうか頑張って、どうしてもダメな時は、
最後の最後に頼んでいた。
そうすると、最後の最後になるまで、気が気ではなかったし、

時間を焦ったり。
人を恨んだり。と、大変だった。


時間を焦るのは、頼んだことで、解決する問題をわざわざ、
頼まずに、自分でやろうとすることで、時間切れになり。
その時に、頼んでも、もっと前に言えば対応できたものが、
結果的に相手の時間も奪ってしまう。
結果的に、頼まなければならないのであれば、さっさと頼んで、
相手が対応できるかどうかまず確認する方が確実だ。


人を恨むというのはこうだ。
本来、あの人が、ちゃんとやっていれば、
わざわざ、私がモノを頼まないで済むのに、
あいつが、仕事しないせいで、俺が、人にモノを頼まなくちゃいけなくなる。
と…あいつや、仕事の仕組みに文句を言うことになる。


モノを頼めない人は、頼むのにどうしても力が入ってしまう。
勢いをつけないと、頼めなかったり、察してよっ…と、怒ってみたり。
頼むことに、負い目、引け目を感じていて、その自我が、痛む。

念力じゃないんだから、考えてたって伝わらねーよ。はっきりモノを頼めよ。
何時までも、ねんねじゃねーんんだから。と声が聞こえてきそうです。


そこで、今日は心機一転、下の3つを自分の目標にしてみた。

①人にモノを頼む練習
②思考のベクトルを望む方向に向ける練習
③そして、昨日のブログで書いたお約束、家で家内に愚痴を言わず、今日、良かったことを話す。


と思っていたら、早速、来ました。

ポリ容器がない。という問題。

私の仕事は、倉庫で、その日、出荷する部品の荷揃えして
出荷用のパレットに部品の入ったポリ容器を乗せて、荷造りすることだが…
部品を指定のポリ容器へ詰め替える作業も行っている。

ところが、普段から、この詰め替えをするためのポリ容器の数が足りない。
ポリ容器は、客先と自社の間を行き来していて、部品を入れた容器を出荷して
空になったポリ容器を回収してきて、
また、そのポリ容器に、製造した部品を詰めて出荷するということを繰り返している。

ところが、今までは、出荷のポリ数に対して、
戻ってくるポリ数がギリギリの量で十分な量が戻ってこないという問題があった。

そもそも、空のポリが戻ってっ来る仕組みしてあることが、
管理部門長がすべき仕事であると思うのだが、それをやっていないため、
以前から問題になっていた。


ポリが少なくなり、荷揃えに支障が出てくるたびに、
これまでは、『管理部長、何やってんだ~』と心の中で、管理部長を徹底的に責めていた。


今日も、やはり、朝から、ポリが足りない状態で、
何とか、今日の荷揃え分のポリ数は、確保しているものの、
明日の分は40ポリ程不足していた。

そして、朝いつも来るトラックに乗って、空のポリが帰ってくるのだが…
戻ってきたと思ったら、別の職場の人が、持って行ってしまった。

後は、午後の便でどのくらいのポリ数が返ってくるかによって、
明日の荷揃え分のポリが揃うかどうかということだった。


いつもなら、午後まで待って出来るだけ先延ばしにするところだが、
今日は、班長に頼むことにした。

9:30頃、わたしの所属している倉庫班の班長に空ポリを回してもらえないか
頼んでみることに…
『明日の荷揃え分のポリが足りなくて…
午後の便で戻ってくれば、そこから引き取るのですが、
もし、余裕があれば、40ポリ程、回してもらえませんか』と

班長は、自分の確保している空ポリ置き場に目をやって、
しばらく考えてから『今日、部品の詰め替えをするから、難しいな。』
という答えだった。


いつもなら、『やっぱ無理じゃん。やっぱ、管理部長が悪いんじゃん』となるのだが、
今日は、②思考のベクトルを望む方向に向ける練習 に切り替えることにした。

というのは…『明日の荷揃え分のポリが揃って、ポリに詰め替え作業をしている自分…』
という、イメージを作業をしながら、何度も何度もイメージした。

また、ほかの職場にないかどうかも確認してみることにした。
もし、ほかの職場で余裕があるようなら、
午後の便でポリが戻らなかったとしてもそちらから、
借り受けることにできるかもしれない。


10時の休憩の時に、別職場、スポット班の職場を見て回った。
なんと、ある、ある、300個以上のポリが裏に確保されているのを発見した。
これなら、貸してくれと言っても、何とか借り受けることができそうだと目途がついた。


そうこうしているうちに、11:00過ぎに、
なんと、先ほど難しいと言っていた倉庫班の班長が、
40個のポリをパレットに積んでフォークリフトで私のエリアに運んできたではないか。

思わず、お礼を言ったが、フォークリフト運転中で声が聞こえず、
班長が戻ってきたところで、もう一度、お礼を言った。
『班長~。ありがとうございま~す』

今日の出来は上出来だった。

午後になって、トラック便がポリを30個ほど積んで戻ってきた。
すると、先ほど300個は確保していた別職場の班長が
来て持って行こうとするではないか。
思わず声掛けして、『ポリを(こちらに)回してもらえませんか。』
と頼んでみた。
『足りないのかよ』という問いに対して、すかさず
『さっき、班長にお願いして、何とか明日のポリは、用意できたんだけど、
明後日も分がなくって…』

すると、スポット班の班長
『じゃあいいよ~』と譲ってくれた。

①モノを頼むを実践してみたら、
少なくとも、今日は、上手くいった。
やったーという感じ。

考えてみれば、いつもは、逆をやっていることに気が付いた。
『管理部長が、仕事をしないせいで、荷揃えができないじゃないか~』

…というと、思考のベクトルは、管理部長に文句を言わなければならない
現実を造る方向に働くということかもしれない。と実感した。

思考のベクトルを変えたらあら不思議、ポリが揃った。


そうか、モノを頼むことに意識を向けていたから、頼む状況が現れ、
頼んだ時は、断られても、ポリに詰め替えをしている自分を想像していたら
…その方向に意識のベクトルを合わせていたら…
ポリが届いた。(班長が持ってきてくれました。)

一度は断られただけに、余計にありがたかった~。
ラッキー。
班長ありがとう。ドラマを作ってくれて…楽しめました。

これで今日の目標三つのテーマが、一気に片付きました。

人にモノを頼む
意識のベクトルを望む方向に向ける
 (責める相手ではなく、自分の内側に向ける…英断をもって切り替える)

家で愚痴では無く楽しい事を語る。
 →今日の出来事を家内に語りました。妻も喜んでいました。
  今日はいつもの愚痴とは違いました。


やったー。達成~。
今回のは早かったね~。

…てか、いつもチャンスが訪れているのに、つかんでいないだけだったかもしれない。

思った瞬間。チャンスが到来するのに、気づかなかったり、前髪をつかめなかったり、

でも、今回思ったのは、チャンスは結構ゆっくりやってきて、十分な時間がありました。
思考のベクトルを愚痴ではなく、望む方向に向けるということでしたね…

これからも楽しんでみたいとおもいます。
毎日、何かを一回は依頼しよう。

100日修行の始まりです。
意識して、モノを頼んでみます。
毎日、100日間。


それでは今日は、この辺で
また、明日お会いしましょう。

ついこの間まで、わたしは会社であったいやな出来事を
家に帰ってきて、妻に愚痴ってきた。

あいつがこんなことを言った。
今日はこんなことで頭に来た。
などなど…

家内は、毎晩のように、私から聞かされる愚痴に付き合ってきた。
すでに、30年近く会社勤めをしてきて、
家内とは、ついこの間、満26年の結婚記念日を迎えた。

大学を卒業して、就職、24年勤めた会社を退職し、
次の会社は5年で卒業
現在の会社は間もなく丸2年になるが、
会社の上司との人間関係が原因で退職する可能性が出てきた。

その前の2回の転職も、
会社の人間関係が少なからず要因となっている。

家内は、結婚して26年もの間、ほとんど毎晩のように
私の愚痴に付き合ってきた。
その忍耐には、心より頭が下がる。

家内は、私の話を時には同調し、時には、励まし、
時には怒り、いつも、私に寄り添って聞いてくれた。
その優しい心根と、忍耐に、心から感謝している。

思い起こせば、父も、家に帰ってきては、
会社での愚痴を毎晩のようにこぼしていた。
毎晩、母は、父の話を時には同調し、時には励まし
時には怒り、父に寄り添って聞いていたことを思い出した。

父も今では、84歳となり、会社を定年退職して24年になる。
昨年、母は、大きな手術をして、
短期的な記憶力が以前に比べて、悪くなった。
言ってみれば、物忘れを以前よりもするようになった。

それに伴い、以前の自分と比べて、バカになった。
と嘆くようになった。いわゆる愚痴である。

父と母は、2人暮らしで、母は、毎日のように、
愚痴を言っているようで、その度に、
父は、暗いことばかり言うんじゃないとたしなめている。

たまに、実家に母を見舞いに行くと、
父と母との会話から普段の様子をうかがい知ることができる。
父は、母の愚痴を聞いていられないようだ。


家内もこれまでの私の妻に対する理不尽な言動に対して
愚痴を言うことがある。
私は、自分自身の過去の行為に対して、
良くないことだと思っているため、
その愚痴を聞いていられずに、つい怒って、
相手の愚痴を制止して、聞くことができない。

愚痴を聞くのは、私にとって大変なことだ。
自分の中の過去の傷が痛みだすように
自分の中にいる裁判官が、自分をさばき、苦しめる。
自分は、その裁きを聞いていられない。

その会話を聞いている子供たちは、
私に対する家内の愚痴で私が怒ることをとても嫌がっている。
もうやめてと訴えることもある。


今は、長女が就職して2年目で
やはり、職場での愚痴を毎晩のようにこぼすようになった。


次女は、大学三年生で、これまでの3年弱の
部活の人間関係で家内に毎晩のように愚痴を言っている。


主に、家内が二人の娘の愚痴の聞き役になっているが、
隣で聞いているわたしまで、つまらない雰囲気になる。

その怒りの雰囲気、憂鬱の雰囲気は、伝染することが分かった。
決して、面白い雰囲気ではない。

昔、不幸の手紙というのがあった。
不幸の手紙を受け取った人は、この不幸の手紙を
10人に出さなければ、良くないことが起こるっという内容のものだった。
今でいう、チェーンメールというやつでだ。
愚痴もこの不幸の手紙、チェーンメールと同じだと気が付いた。

誰かが、止めなければ、その連鎖が止まらない。

父から子に、子から孫に受け継がれたチェーンメールは、
誰かが気が付いて止めることが必要である。

暗い部分に光を当てて、昇華し、明るい波動に変換することで
明るい連鎖が始まる。

闇の中に、光を見出す。
同じ出来事の中にも、闇の部分があり、
光の部分もあるはずである。
今までは、闇の部分を見つけるのがうまかっただけだ。
間違い探しが、上手かっただけである。

これからは、光の部分を見つけて、話す癖をつけていきたい。
これから毎日、明るい話題を家庭に持ち帰るようにしよう。
これも慣れであり、習慣である。
これからも、今までの習慣で暗い部分が目について
つい愚痴が出てくるだろう。
自分から出た愚痴は、自分が受け取り、聞いてやることにする。

そして、家内へのお土産は、明るい、楽しい話題を
一日に一件は持ち帰ることにする。

そうすることで、負の連鎖を断ち切り、
明るい連鎖の波動を発信することにする。

今日は、この辺で
また、明日お会いしましょう。