与えることで、相手の可能性を奪っている。
お金は、自分の経験を他人に渡してしまう危険性がある。
例えば、風邪を引けば、医者にかかることが当たり前。
本来、風邪などは放っておけば、じきに直ってしまう。
しかし、現在は医者に行かないと、奇異の目で見られる。
それだけ、経済的に豊かになったということだろうが、
お金を対価として、なんでも、他人に頼る時代、
他人に丸投げして、自分の経験や選択の自由さえも
他人に任せてしまうようになってしまった。
例えは、何でも構わないのだが…
手術をするのに、医者は、患者の同意書をとる。
手術をするのに、医者は、患者の同意書をとる。
このとき、手術するのかしないのか、本人に選択の自由があるが
その選択の自由さえも、医者の顔色を見ながらする始末で、
全く自分の自由にならない。
それが、自分の健康を他人(医者)に丸投げしてしまった結果である。
全く自分の自由にならない。
それが、自分の健康を他人(医者)に丸投げしてしまった結果である。
そして、手術しないという選択を選ぶことができない場合が多い。
手術というと、話が重くなるので…
風邪をひいて薬をもらったとする。
この薬を、全部飲み切ってくださいという医者の言葉を忠実に守る人が少なくない。
自分の判断を他人に任せる割には、何かあれば、医者のせいにする。
自分にとって、良い結果が得られなければ、藪医者だとか言って
自分が丸投げした責任をとらない場合がほとんどだと思う。
自分にとって、良い結果が得られなければ、藪医者だとか言って
自分が丸投げした責任をとらない場合がほとんどだと思う。
ひと昔前は、風邪ぐらいで病院には行かなかったが、
それでも、問題がなかった。
また、私たちの小さいじぶん(約50年前)父母の若いころは、
洗濯機がまだ出始めで、脱水は、洗濯した衣類をローラーの間を通す
ことにより、ローラーの間で圧縮されるときに脱水するというものだった
よって、ローラーを回ための手回し式のハンドルが付いていて
それで絞っていた記憶がある。
家内の母は、さらに手動で、洗濯機自体がなっく、
洗濯板で一枚一枚洗濯していたと聞いた。
また、昔の女性は裁縫に長けている方も多く、
家族が着るものは一通りなんでも自分で作ったと
聞いたことがある。
このように自分で何でもすることが絶対だとは思わないが、
すべて自分でできると、生きることに何も心配がなくなる。
現在は、なんでも揃っていて、また、手間をかけないことが、
いいとされる傾向にある。
また、与えることが良いことされ、
私もそうだが、子供たちに全てを与えてしまっている。
与えることが良いことだと思ってきたからだ。
しかし、子供達は、それを当然として受け取り、
自分で要求すらしなくなってしまった。
やってくれるのが当然、やってくれなければ、
ものすごくストレスを感じるものの、
依頼することすら出来ない。
ひどい場合は、人のせいにする。
あいつがやってくれないから私は辛い思いをする。
あいつのせいだ。…と、
ここまで書いて、
それは、子供達のことばかりではないことに気がついた。
それは、私自身に言えることであった。
自分のストレスを他人のせいにしているときは、
大抵この術中にハマっている。
しかし、他人のせいにしていることに気づいたら、
まず、課題にどのように対処するかを計画を立てればよい。
ただし、だからと言って、全てじぶんでやる必要はない。
具体的にどこまでを自分でやってみて、そのうえで、
次のことを考える。次は、どういうやり方をすればいいのか。
そのように、一つ一つ計画して、それをを実行していると、
次にこうしたらいいかも知れないと次々に工夫が生まれる。
そうして、その課題を達成した時、
清々しい気分に浸れる。達成できない場合でも、自信につながる。
その達成の成果や自信も、初めにストレスありきということを忘れてはならない。
マナさんの言う、『裏大黒を忘れるな』とはこの意味でした。
私達は、この世にこれをやりに来たのだと思う。
それでは今日はこの辺で
明日またお会いしましょう。