Magandang Hapon?!!! Maiです
皆様、このタガログ語覚えていらっしゃいますか?!笑
「こんにちは」で~す
久しぶりにタガログ語講座(復習)をしてみました!!!!
さて、本日は経済の話から少し離れ、ここ、フィリピンで活躍されている日本人の方のストーリーです・・
●○●○●手漉き紙、豆本作家として知られる志村朝夫氏(63)●○●○●
ルソン島北部の避暑地として現地の富豪や観光客からの人気も高いベンゲット州バギオ市(Baguio)。そこからジプニーに乗って2時間半、トライシクルに乗り換え15分程行くと彼が住む、同州カパガン町ラボックのポキン地区に着く。
夏でも涼しく、見渡す限りにの緑。およそ外国人は滅多に訪れそうにない山奥の農村に比日の自然素材と技術を融合して手漉き紙や豆本(8cm弱四方の小さな本)紙布を作る日本人アーティストがいる。
自宅を中心に、ピニャ(パイナップル)やアバカ(麻)、サバ(調理用バナナの一種)など比で採れる自然の繊維を使い、日本の手漉き技術で紙を作っている。
紙を裂いて「より」を掛け、糸にしたものを織り込んで作る日本にしかない技術「紙布」や、最近では比日で手に入るコンニャクを煮出して作った「のり」を紙に塗ることで、耐水性や強度を高める「コンニャク加工」を編み出し創作活動を行っている。
フィリピン各地から手漉き紙や紙布作り指導者としてたびたび招かれているほか、南アフリカ、韓国、アメリカなどからもコンニャク・アートの研究者としてお呼びがかかる在バギオ屈指の日本人アーティストだ。


※サクスカの乾燥樹皮(楮に似た灌木で、伝統的には樹皮を布や
ロープにして使われてきたようです。)
志村氏が紙と出逢ったのは、都内の工業高等専門学校で水質分析を専攻していた60年代、静岡県の浦港で製紙工場から排出されるヘドロ公害が問題を独自に分析したのがきっかけだった。
機械を使った製紙業が環境に及ぼす影響を実感し、環境や人に負荷のない紙漉き和紙へ傾倒していった。
初めて比を訪れたのは、1983年。京都で開催された国際紙会議でバギオ市で紙漉きを教えているアメリカ人に勧められてだった。渡比後、同市で活動する市民団体へ就職し、職場で知り合ったフィリピン人の奥様と結婚・・・。当時、体調を崩されており、気分転換で渡比したつもりが、以来ずっとフィリピンで暮らしている。
現在は自宅に3平方メートルのミニミニミュージアムを開き、日本で活版印刷した世界の手漉き紙に関する豆本36冊を展示、年内にはさらに、「ノー・ワン・ウッド・カム(誰も来ない)」と名付けられた6平方メートルのスペースでスタジオやギャラリーとしてオープンする予定されるという。
また、現地の職人が織り込んで紙布にし、それをバギオの仕立て屋が帽子や服を作ったり、イフガオ民族の木彫り職人に版木を作ってもらい、ピニャの手漉き紙に般若心経を印刷するなど、日本とフィリピンの伝統工芸がコラボレーションして新たな工芸が生まれようとしている。

※手前で写真を撮っている男性が着ている服が
コンニャク・アートで作った紙の服です。
すでに、バギオ市を拠点とする若手アーティストとスタジオを使って紙布服のファッションショーを開いた他、志村氏の漉いた紙を使って比の旅行記や料理本を作ってバギオ市周辺の本屋で販売する計画も持ち上がっている。
志村氏によると、日本で手漉き紙を作っているのは200箇所程で、減少傾向にある。作り手の不足に加え、農家の高齢化で紙の国産原料の減少も著しい。一方、比にはアバカやピニャなど紙の原料は豊富だが、価格競争で機械に勝負できない手漉き紙や織物作りは、担い手が少なくなれば地場産業はなくなってしまう可能性がある。
志村氏の創作活動や、フィリピンの若いアーティストの活動により比日の自然素材、伝統技術を生かした工芸が盛り上がり、これらの伝統がこれからも存続し続け、比日の親睦が深まる一役を担ってくれればと願うばかりである。
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~ バギオ市 ~
ルソン島北部のベンゲット州の領域内にある、どの州にも属さない独立都市。マニラから北に250km、コルディエラ・セントラル(中央山脈)南部の標高1500mの高原に位置する。
一年中を通して最高気温が26℃を超えることはなくとても涼しい、フィリピン随一の避暑地となっている。バギオ市の中心にあるSM(エスエム/比最大手のスーパーマーケット)にはクーラーが設置されていないというのは・・ホントか嘘か・・。
人口25万2386(2000年)、大学や韓国資本のスパルタ語学学校が多く、教育の街としても知られている。街を歩けば自分がとんでもない山奥にいることを忘れてしまう程の大都市で、中心街を囲む山々にはびっしりと多くの家々が建ち並んでいる。


更に北にある、世界遺産に登録されているコルディリェーラの棚田群(バナウェ)やビガン、サガダの洞窟群に行く観光客の通過点ともなっており、ホテルや別荘も多く、バギオ観光も含め多くの観光客が集まる街となっている。
山腹をジグザグに登る急な自動車道の建設には日本人契約労働者が貢献した。道路の名前は建設責任者の名前を取ってケノン道路と呼ばれているが、現地では日本人が造った道路と認識されているとのこと。
粒の小さなバギオの苺はジャムやお菓子に加工され、バギオの代表的なお土産の一つである。


※右:バギオの苺で作ったフレッシュイチゴシェイク
左:お土産のイチゴジャム
バギオでの観光は、馬と同じ頭のお兄さんがひいてくれる乗馬や・・・

SM Baguioからも望める、ブーンハムパークにあるこの池でドラえモンやミッキーマウスのボートに揺られるのもいいでしょう。笑

※ミッキーマウスのボートはイメージしてね
また、この公園を中心にして毎年2~3月までの1ヶ月間フラワーフェスティバルが開催され、比内外から多くの旅行者が集まってくる。公園の横に併設された広場には大きなマーケットや遊園地、植木市などが開かれ、訪れた旅行客の憩いの場となっている。

◎ アクセス ◎
マニラのパサイやクバオにある長距離バス乗り場からビクトリーライナー or FIVE STARというバスに乗り、7~8時間。約2時間毎にトイレ休憩があるが、バスの中は異常に寒いので、できる限りの厚着が必要です
(片道約500ペソ)
By Mai