2014/12/16より文体改造中です。
推敲はほとんどしていません。誤植も多い稚拙な文章ばかりですが、温かい目で見守っていただけると幸いです。
3日、福岡県議会議員選挙,福岡市議会議員選挙が告示された。福岡県知事選挙は一足先の先月26日に告示されている。
今回の福岡県知事選挙は、自民,民主,公明などが推薦,支持する「相乗り」現職候補と、いずれの政党からも公認,推薦を受けないものの共産党が支援する新人候補が立候補する一騎打ちとなった。小生はこの構図をたいへん情けなく思う。
現職の小川洋氏は自民,公明,民主,維新の真ん中から右の政党の推薦だけではなく、社民党県連からの支持も受けている。1期目に特段の失点もなく、左右広く堅い組織票が見込まれることから、何か問題が起きない限り当選は堅いといえる。
小生は社民党が小川氏を支持したことに納得いかない。小川氏はこの4年間全方位外交を敷いてきた。しかし、だからと言って「相乗り」する理由にはならない。現職候補への「相乗り」はローリスク・ローリターンの安全な選択と言える。とはいえ、「相乗り」をしているようでは社民党の存在感は失われるばかりである。社民党は国政においても風前の灯火ともいえる存在感ではあるが、かつての最大野党であり西欧にみられる保守勢力と社会民主主義の二大政党政治が期待されたこともあった。ところが、90年代前半にそれまでの安保条約反対や自衛隊違憲など方針を180度転換するなど迷走し、党勢は衰退。96年に社会党は現在の社会民主党に改称した。県政においても同じである。1983年の福岡知事選挙では同党が推薦する奥田八二氏が当選した。当時、福岡県議会では社共共闘体制が敷かれており、労組系の票を堅く集めて自民党が推薦する亀井光氏の5選を阻止した。
亀井氏は4期知事を務めた大変な実力者である。風に乗ったとはいえ、福岡県の不動の権力者ともいえる亀井氏の当選を阻止した当時の社会党の底力には感心する。しかし、今やその社会党の流れをくむ社民党は「相乗り」で逃げの一手である。共産党との共闘もしない。奥田氏も実力はあった。奥田氏は初当選から1995年までの3期12年知事を務め、北九州空港建設や情報公開条例制定などを実現し、福岡県政の革新に貢献した。もう一度、社民党には力を見せてほしい。
小生は社民党を支持しないが、野党第1党は社民党であるべきである。最大野党の座は民主党などというポピュリズム政党にあるべきではないはずである。社会党よもっと「激サイティング」になれ!
余談ではあるが、奥田氏が当選した1983年の福岡知事選挙であるが、社民党が当初に出馬を打診した相手は小生の祖父であった。当時、祖父は九州大学で教鞭をとる傍ら情報公開条例や政治倫理条例の作成などの地方自治関連の市民運動にも携わっており、県費乱用が問題化していた大物亀井を撃ち落とすには最良の弾だった。小生の母によると、祖父が出馬を打診された際、当初本人は前向きな姿勢だった。しかし、家族全員が反対したため、自らの出馬は断念しざるを得なかった。その代わりとして祖父が推薦したのが同じく九州大学の教授であった奥田氏である。結果には前述のとおり、奥田氏は当選し3期に渡って知事を務めた。思うことがある。もし、小生の祖父が当時の知事選挙に出馬していたならば、小生の人生も大きく変わっていたであろう。自分は知事の家に生まれた孫だったのだろうか。いや、生まれていなかったかもしれない。そう思うのである。小生と知事選挙の不思議な縁の話である。
12日に迫る統一地方選挙の投票日、報道では無風や熱さを欠くなど言われているが、それが故に有権者が各候補の政策をしっかりと見つめ意義ある選挙にしてほしい。
今日は3月20日である。
3月20日と耳にすると何かあまり良い日ではない気がする。
ご存じのとおり、地下鉄サリンが発生したのは3月20日である。福岡市民であれば福岡県西方沖地震が発生したのも3月20日だったと思い浮かべるであろう。イラク戦争が勃発したのも3月20日である。リビアでNATOが軍事行動を開始したのもこの日であった。厳密に調べたわけではないが、これほど不運や不幸な出来事が重なる日も珍しいのではないかと感じる。今日が多くの人々に幸せな一日となることを願いたい。
最近、投稿が滞っていましたが、この週末は地元福岡に帰り過ごしました。
これでも新成人なのです。
12日(祝)は成人の日であった。全国126万人の新成人たちが大人としての新たな門出の日を迎えた。私の地元福岡市でも1万6千人の新成人が誕生した。携帯電話が一般に普及するきっかけの年となった平成6,7年世代はまさに日本のミレニアム世代の中心ともいえる世代である。幼き頃からディジタル機器に囲まれ、インターネットを巧みに使いこなす。同時に、インターネットを使った犯罪が広がり始めたのもこの世代からである。戦後50年に生まれ、若き頃にバブル景気を経験した親を持ち、完全に成熟した経済下に生まれたこの世代は、新しい価値観への柔軟な適応を得意とし、他との差別化を創造する能力に長けている。一方、平成6,7年生まれ世代は完全ゆとり世代でもあり、将来的な競争力が弱い世代でもある。「さとり世代」という言葉が2013年に「新語・流行語大賞」にノミネートされたように、ゆとり世代が持つ弱さを強く認識し、縦世代とのつながりよりも同世代との強い結束を好むのもこの世代である。
私もこの平成6,7年生まれ世代のひとりである。
私は我々の世代の可能性と未来を信じている。我々が社会の一線を担うころ、我々は多くの変化に直面することとなるであろう。国際秩序の変化や国家の財政問題、そして、世界で協力して取り組むべき地球温暖化問題である。戦後これまで我々が享受してきた平和と豊かさを守るために何ができるか。この国と人類の歴史に残る大きな決断を幾度となく求められる。その時に、我々は正しい判断ができるか。その決断の時に後に禍根を残さない判断を下すために我々は学び続けなければならない。我々は持ち前の柔軟な適応力を最大限に発揮し、国境や宗教を超えて世界で協力し合えると信じている。
暇がなく、今日はこの辺で…
続編は…分かりません