ちゃんこ鍋 419
十二月といえば、いわずと知れた、赤穂浪士の吉良
邸討ち入りである。たしか十二月十四日だったように記
憶している。どうゆうわけか日本人は、このあだ討ちが
ことのほか、心を打つらしい。
なぜなんだろうと、ぼくは考えてみた。
赤穂浪士討ち入りは、敵討ちという側面と、勧善懲悪
というドラマツルギーに支えられている。
勧善懲悪という視点で事件をみると、浅野が勧善で吉
良が懲悪かといえば、どうやらあやしい。芝居や映画で
は、ことさらに吉良を悪賢いヒールとして描き、浅野は、
吉良にいじめられる気の毒な役割だが、勧善の役割に
しては、何か物足りない。説得力が不足である。
当時は、五代将軍綱吉の時代である。綱吉は生類あ
われみの令、という悪法をしいた将軍である。江戸の庶
民をは、その悪法に塗炭の苦しみを強いられた。その
折に起こったのが赤穂浪士の吉良態討ち入りであった。
ぼく思うに、江戸庶民が、赤穂浪士を熱狂的に迎えた
のは、吉良の首をとったことよりも、喧嘩両成敗のルー
ルを破った、綱吉の政治判断に対する抗議だったので
は、なかろうか。ヒールは吉良でなく、徳川綱吉だった
ように、ぼくは思う。