門松 51
風花に礼者のかざす扇かな 村上 鬼城
相撲が行われているようだが、ぼくは、これも興味がない。面
白かったのは、小学生のころで、それ以来なんの感興も感じな
い。巷間でよく聞く話で、外国人が多いので面白くない、という感
想をしばしば小耳にするが、ぼくは、そんなことはなく、外人だろ
うが、日本人だろうが、感じがいいなと思えば贔屓にするに吝か
ではないが、どういうわけか相撲に興味がもてなくなった。
スホーツというのは、一種のドラマであり、自己を仮託したくな
るような、何がしかの契機とでもいうようなものが必要なのでは
あるまいか。そして、そのドラマのなかには、大いなる悪、つまり
ヒールも必要だし、その対蹠的な善もまたなければならぬ。そう
いう意味では、朝青龍の存在たるや、欠くべからざるものだった
のではないか。考えてもみてください。水戸黄門に悪代官が出
なったらちっとも面白くないであろう。憎まれ役がいるから物語
として面白いのであって、無機的な人形がふんどしをして、相
撲をしているのを観覧しても退屈なだけである。現下の大相撲
に、悪役はいるや否や。相撲がおもしろくなくなった一因に、そ
のへんの事情があるのではないか。かと云って演出でプロレス
のように、悪役を作っても、演技だけの悪役は、すぐ見抜かれて
飽きられてしまう。そのてん、朝青龍は本物の悪役だった。