門松 3
正月の人あつまりし落語かな 正岡 子規
一日のことを、別の言葉で言えば朔日とも云う。詩人の萩原朔太
郎の朔である。同じように、音が同じなのに文字が異なったり、音
も意味も同じなのに文字が違うことが、日本語にはよくある。例え
ば、アメには、雨、飴、編め、天などがあり。ハシには、橋、端、箸、
嘴、波子、梯などがあるが、日本語を母国語にしている人は、イン
トネーションとか、言葉の前後で、なんとなくわかるが、第二外国語
にして学んでいる人には、とてもわかりずらいことのようである。
物知りから訊いたことであるが、世界中には、何千の言語がある
らしいが、それが次第に減少しているようだ。これからも減少する
ばかりで増えることはないそうである。
ヨーロッパではワインが水代わりに、食事のときに飲まれている
が、かねてより、ぼくはワインの味が判別できず、各国のワインを
試飲してみたが、さながら暗闇で煙草を吸ってる感じがした。フラ
ンス、ドイツ、スペイン、イタリア、ポルトガル、アルゼンチン、チリ、
カリフォルニアなどのワインを飲んだが、さっぱり違いがわからな
かった。この原因は二つある。一つは、ワインといっても、一本千
円から、一万円、十万円、百万円、さらに三百万とか、それ以上の
高価なワインがあるようで、まさか、味がわからないのに一万円の
ワインすら買うわけがない、と言うことが遠因としてある。もう一つ
の要因としては、言葉の問題があるようだ。日本語には、ワインの
味を表現するボキャブラリーあまりない。渋いね、とか、甘いね、と
か、香りがいいね、とか表現できないが、フランス語には、ワインの
味の違いを表わす、沢山の言葉があるのである。くわえて、ワイン
文化の差、とも云える。貴族や金持ちは、巨大なブドウ畑をもつこと
を誇りとし、世界中から美味なワインをかき集めてのコレクションを
倉庫で寝かし、それを友人と飲むことを楽しんでいる。訊くところによ
ると、一本千円のワインと十万円のワインの差は、微妙で判りずらい
ものであるが、ヨーロッパの人たちは、その違いを言い当てて楽しむ
のそであるが、その辺ののところは、日本人は判りにくいが、ワイン
の味がわかる人は尊敬されるが、わからない人は、バカにはされな
いかもしれないが、無粋者のそしりを免れないかもしれない。