独り言   12月9日-3-27-797 | はなのブログ

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野良猫     797
    猫柳女の一生野火のごと   三橋 鷹女
 
かねてより、聖書をしばしば読むにつけ、労働を蔑む傾向がある
ことに気づいた。
 例えば、創世記に有名な、アダムとイブの禁断の実を食べる話が
ある。人間の原罪のはしである。蛇が二人に食べさせたのである。
それが人類の原罪になってしまったのであるが、このことにより、神
は、蛇の手足をうばい、以降、蛇は地上を這って移動しなければな
らなくなり、女には出産の苦しみを与え、そして男には、労働のつら
さの罰をあたえた。
 どうやら、旧約聖書の世界観は、労働を原罪の罰ととらえているよ
うなのだ。
 なのに何故、キリスト教文化圏から資本主義が台頭したのであろう
や。
 資本主義が誕生するためには三つの条件がある。資本つまりお金
がなければならないが、お金があふれていた文明は、かって沢山あ
った。メソポタミヤ、中国などであるが、資本主義は生まれなかっ
た。 二つ目は、高度な生産技術である。元来ヨーロッパは、なにな
に文明がなかっように、非常になにもかもが遅れた地域だったが、イ
ギリスで起こった産業革命で資本主義の胚胎する条件がととのいか
けたのである。では三番目の条件とはなんであろうか。これがなけれ
ば資本主義は成立しない。なんと資本主義の精神である。労働を尊
び、禁欲を重んじ、時は金なり、の精神をもつことである。
 だはなぜ、労働を忌避するキリスト教の文化から、このような精神が
生まれたのあろうか。キリスト教徒は今ででも労働が好きでない。一日
でも仕事を早くやめて遊びたい。だが神のためなら労働をしなければ
ならない。つまり隣人愛のための労働は喜んでしなければならないの
だ。自己のため、お金のために労働をしてはならない。労働をして商品
ができ、その商品を買ってくれる人々の喜びのために働くのである。お
金は結果だ。お金を目的に仕事をしてなならない。いい労働をすれば、
沢山の人々が潤い、結果として沢山のお金が手に入る。これこそが資
本主義の精神である。