花火 521
われ思う、ゆえにわれ在り。この言葉はコギトと
いい、あまりにも有名なデカルトの言葉である。
われら人間、つねに迷妄の住人である。何が美
醜か、何が正邪かわからない、教育で教わりはす
るが、果たしてそれが正しいものと言えようか。偉
大なる宗教の教えも、これまた深遠なる哲学も、冷
徹な批判の前に耐え切れるものはない。
そんな時、頭の中のロジックを解体して、今、思っ
ている、という事実から、再び出発するという、めま
いのするとうな困難をともなう、徒労かもしれない作
業である。
ヘーゲルは絶対知に到達する、と喝破したが、そ
れは真実なのであろうか。ぼくの貧困の頭脳には絶
対はない。あるのは相対だけだ。相対の中をうろうろ
うろついている、おろかな散策者である。
絶対はないのだから、見えもしないし、感じもしない。
生きると言うことは、暇つぶしと考えると気が楽になる。
あまたの古典や新刊を読破したが、分かったことは、
なにもわかんねーや、である。