阿弥陀仏と菫 267
今日も休もうと思っていた。ところがにわかに荘子が読
みたくなった。読みたいときに読めないのは我慢が出来な
い。我が家のどこかにあるはず。されど何処を探せど見つ
からず、辛抱溜らず家を出た。目指すは藍住、北島、徳島
市、あるいは県かの、いずれかの図書館あるはず。やもた
てもたまらず一目散にまず藍住に。探すことしばし、だが目
指す本は見つからず、つぎの北島に馳せ参ず。哲学書のコ
ーナー目ざとく見つけ、サラサラーと眼を馳せれば、あった。
荘子の字が本の背中に張り付いていた。
ご存知のように、中国は儒教の国である。しかし儒教は
科挙の試験に取り上げられるように、官僚の教養である。
民衆は、むしろ道教(老荘思想)で生きるよすがとしている。
儒教はむしろ朝鮮の人たちのなかで息づいている。
日本にも道教は生きている。漢方、お札、お守り、のみ
ならず、たとえば、明鏡止水、無用の用、不言の言を聞く。
知るはいわず、言うはしらず。窮するもまた楽しみ、通ずる
もまた楽しむ。君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交
わりは甘きこと甘酒のごとし。
中国四千年の教え、ひたぶるに恐るべし。