_ 阿弥陀仏と菫 225
元来、我が家では雑炊ではもっぱら蟹缶を使用してい
た。蟹缶は全て到来物で、かねて自腹で購入したことなど
一度としてない。我が家はピユーリタンにあらぬが、何故か
禁欲を旨とする。贅沢なんかは家訓に悖る。蟹缶はメザシ
三匹に相当が我が家の対価である。この対価は満足度に
親和的である。人間の認識は非対称である。
なんだか話が逸脱した模様、本題に戻す。
去る日、いつものように朝、夕食を何にするか家人と思
案にふけっていた。久しく雑炊を食していないことに話が弾
み、夕食は勿論雑炊と決まった。だが味付けの決め手の蟹
缶がなき旨、家人がつつましく、ぼくの右耳にちかずきつぶ
やいた。よせよせ、右耳はぼくの弱点つまり性感帯なのであ
る。体をくねらせてもだえ苦しみ、快楽を耐えた。
家人は知っててこういう稚いいたずらをしばしばするのだ。
そのたびにぼくは快楽と苦悶の間でとまどう。
またもや著しい話題の脱線と言わざるをえない。話を端折
ると、要するに蟹缶の代わりにあさりを使ったら、蟹よりお出
汁が濃厚でおいしかった、と言いたいのだ。貴君、涎がでて
るぞ。