たまちゃん 20
ふたたび書く。私とは何かと、一枚々かわをむいて
いくと、最後にのこるのは自我である。しからば、この
自我とはいかなるものであろうか。
生命はだれしも母親の子宮のなかに宿ることは周
知のことであるが、赤ん坊は生まれてすぐには自我
はない。つまり、赤ん坊にとって宇宙と自己とは一体
なのである。しばらくして、おそらく不快を経験して自
己と他者、換言すれば自己とそれ以外のモノに気づ
き、やがて自我がめばえるのである。こういうことが出
来るのかどうかは分からないが、もしや赤ん坊の総て
の欲求を満足さすことができれば、おそらく自我は育
たないかもしれない。
自我とはあやふやなもので、自己とは何者であるか
を知りたがる。つまり、自分を熟知しないと不安に駆ら
れるのである。平たく言うと、自分が何処からきてどこ
まで行くのか、死後をふくめて知らなければ自我が安定
しないのである。その物語として宗教が生まれたのであ
る。宗教が信じられた時代は自我は比較的安定したで
あろうが、そこに科学がうまれた。そのことにより宗教の
物語の説得力が希薄になってしまった。しかし、科学が
宗教にとって代われるか、といえばそうもいかない。科学
は世界の部分々を説明できたが、科学をもって宗教に代
える事はおそらく無理であろう。しかるがゆえに宗教は自
我の安定のために、人間の生存に必要不可欠なモノとし
て永久に存在し続けるであろう。おそまつ。