祇園と干し柿 11
自同律の不快、とは実に作家埴谷雄高氏が考察した
概念である。私が私であることがしんぼうたまらん、と平
たく言えばそういうことなのであるが、ぼくなどの凡々た
る脳みそではこの概念をいかように社会的概念として
とらえればいいのか戸惑うばかりなのであるが、誤解を
覚悟でぼくの独断を開陳すれば、自同律に安住するな
らばA=Aなのであるからこれは静止しているのである
が、これに否定でなく不快感をもっのならばズレが生じ
運動が発生するのではないか。いわば弁証法としてモ
ノをとらえるということではないのか、と考えたのであり
ますが、勿論異論のあるかたはいらっしゃるでしょうが、
秋でもあるので久しぶりに難解を以てなる名著死霊を
再度チャレンジして万分の一でもかみしめて血肉とすべ
くやよはげむとするべきか。さすれば自同律の不快の謎
も霧が晴れるように解明するであろう。
人生は短い。生命の誕生とは死への旅立ちである。花
火のごとき命であるが、それぞれ自由に自らに与えられ
た命の時間を、悔いなく消費したいのであるが、さてそれ
がぼくに出来ているか否かは判別しがたい。おそらく無駄
なことばかり行っているのでは、と言う不安が心をよぎる
が、なにもいまさらの感につつまれる。ケセラセラである。