祇園と干し柿 8
秋の夜の静寂に物思いにふける、なァんてのはいい
んじゃないかな。物思いのなみといえば言うまでもなく
恋であろうが、なにしろおじさんの辞書には恋なる活
字は失われて久しい。恋はなくても変はあるが、字は
似ていなくもないが、恋の代わりに変を使用しても、こ
れは大変変な話なので取りやめることにした。
こうして、一生の時間は限られているのに無駄話に
時間を消費しているのは時間の無駄である。
ぼくの人生を振り返って見回しても、ほとんど無駄な
時間の塊であり、何か有意義に時間を使用したかと自
問しても、確信も自信もない。ぼくの存在自体が社会の
お役に立っていないことは明治、いや自明ですらある。
いまさら、おさら、サラ・ボーン。ケセラセラ、ワインセ
ラー。セラー服に、セラミック、セラー万年筆はまだある
か。さらに、さらさら川流れ、さらの靴にはサランラップ。
谷川修太郎や井上ひさしなら、まだまだ気の遠くなるほ
ど続くのだろうが、そろそろおじさんはボキャブラリーが
不足気味。脳漿が酸欠気味ではいたしかたない。この辺
でみなさんとも、なごりおしいがお別れしましょう。それでは
みなさんまた来週♪