驟雨と毬 13
つくずく言葉の不思議に思い知らされた。以前書い
たと思うが、さる京都在住のご婦人のブログを拝見し
ていたら、性別におなごと書かれていた。ぼくは読ん
だ瞬間、その言葉の新鮮な響きに感心した。なんとも
セクシーでなまめかしいではないか。
ぼくの子供の頃の記憶であるが、老人が女の子に
「おなごのくせに、何しよんな!」と叱っていたことを覚
えています。その時の(おなご)の言葉は汚い言葉に
聞こえましたが、同じ言葉なのに京都のご婦人の発し
た(おなご)は優がで、ふくふくとしたおまんじゅうのよ
うなイメージが浮かんできます。これはどうしたことな
のでしょうか。吉本隆明の「言語にとって美とは何か」
や江藤淳の「作家は行動する」を再読すれば答えが
在るかもしれません。
美女と醜女は容姿によるが、精神、砕けて言えば心
美人とブスの問題がある。ベストは容姿美人+心美人
であるが、ワァーストは容姿醜女+心ブスである。では
容姿美人+心ブスと容姿醜女+心美人はどちらを上に
おくかの問題が存するが、ぼくはためらわずに心美人を
選ぶであろう。でも美人・ブスは主観によるし、心のそれ
も簡単に区別はできはしまい。だいいちどんなに美人で
もいっかは飽きていやになることもある。要するに男女
の結びつきは愛情のみならず、さまざまな要素によって
持続もすれば決裂もするということである。二人の辛抱
と努力がなければ夫婦が成り立たないのである。愛が
あから大丈夫なのではない。愛ほどうつろいやすくたよ
りないもはない。