驟雨と毬 12
なぜぼくは本を読むのであろうか?そんな疑問がふと
浮かんだ。これは食うために働くのか、はたまた働くた
めに食うのか、と同じような愚問とかたずけていい問か
もしれないが、暇つぶしに考えてみようか。
読書といってもいろいろあるが、自動車の免許や、さ
まざまな資格を取るための読書。まァ手段としての読書
はおおむね面白くはない。ひたすら砂を噛むよな感じで、
目的を達成するため我慢の一言につきる。能力もさるこ
とながら意志の強さが必要十分条件である。
それに反して、目的としての読書は楽しい。とくにエンタ
ーテーメント作品は時間が短く感じてしまう。何か学ぶこ
ともあるだろうけど娯楽的要素が強い。
また教養としての読書もある。これらの作品は、娯楽的
ぶぶんより、人間の、そして生きるにあたって生じるさまざ
まな形而上学を問、考える本である。本によつては退屈で
あくびを誘うモノもあるが、ドストエフスキーのようにすこぶ
る難解さと面白さを併せ持つ作品もある。この類の本を読
む期待感は、それらの本の読書体験から、いかに自分自
身が変化していくかの興味に尽きる。一冊の本との出会
いによって、人生観から、なにもかも変わってしまう力を本
は持っている。それが嫌いで、今の自分に満足している人
は本など読まなくてもいい。しかし、無限に自己の可能性
を求道する人は、おおいに読書をして自己を研磨してほし
い。