驟雨と毬 14
ぼくは無知である。そういう諦念がある。確信でもある。
これはいささかの謙譲でも、謙遜ですらない。思い定めた
自分自身の裁定なのであって、これこそがぼくの矜持とも
原点ともいえるものである。
しかるがゆえに、そのぼくの原点たる無知から一歩でも
二歩でも脱出したい、それはお釈迦さんの手の上の孫悟
空さながらとてもかなうことではないが、それでもなのであ
る。このそれでもがあるから生きていけるように思い至る。
ここまで書いて、ぼくの文脈を振り返ると、その大仰さに
赤面をした。だいたいこんな大げさな文を認めるときは、
書くことに困惑したときであり、知恵のなさをごまかすがタ
メの安手の技術であり、読む人がよめば上げ底は一目瞭
然だわさー。
いい女いないかなー。そんな女といれば時間が短いだろ
うなー。だとすれば人生が短く感じられるんだ。逆に退屈な
女といれば、当然に時間が長く、したがって人生をながく感
じられるとしたら、どっちがいいのかしら。考えるまでもなく
いい女といるほうが、人生を短く感じられてもいいや。だとし
てもいい女がずっといい女かといえば、これには保障も保険
もない。ベビーフェイスが鬼女になる可能性の高さを考える
と、短いような長いような人生と言わざるを得ない。美人を手
に入れた幸運な男たちよ!時間が短いのは今だけで、いつ
しか長い長い時間に苦しめられるだろう。