驟雨と毬 3
無人島へ行くに、一冊だけ本を許されるなら何を
もっていくか?なるつまらない質問があるが、ぼくな
らさしずめ永井荷風の断腸亭日乗を持参したい、と
所望するであろう。あまたある本の中でこれほど面
白き本はない。賢明なる皆様においてはすでに読ま
れいるかたたもおおいであろうが、あえてぼくが推奨
するほどにこの本には愛着がある。
すでにご存じの方は多いと思われるが、荷風ほど
偏屈で意地の悪い男はいない。遠くから眺めるぶん
にはいいが、ちかくでお付き合いするのはゴメンで
ある。しかし、かくなるゆえに日記が面白いのである。
平凡な生真面目な人の日記などつまらぬ、奇人であ
るがゆえに日記が光をはなつのである。
ぼくが所有している本は岩波文庫であるが、同じく
岩波書店の荷風全集の断腸亭日乗は不思議な点が
書かれている。すでに荷風フアンならずともご存じの
かたがたもいられるのであろうが、これがなんである
かはあえてぼくは言わない。調べればすぐにわかる
のでどうぞしらべてください。荷風老人のいたずらとで
も解釈してください。
小説とはなにかは、ぼくは荷風から学んだ。高邁な
哲学や、深甚な宗教的信念を持ち込むのではなく、ひ
たすらに人間を描く。生きている人間を描く。これのみ
である。荷風のばあい女である。腕くらべの駒代、つゆ
のあとさきの君江、など単に綺麗だけでなく、悩み苦し
み、しかも魅力的に生きていくさまが描かれている、い
いものは古くならないの法則は、未だ健在である。