流転と啓示 4
われは湖の子、っていいと思う。ぼく京大って素
敵じゃないかって思う。東大っていかにも官僚って
いう感じがしてなんかなじめない感じがする気がす
るけど、ぼく京大っていい感じがするんだよね。と
いって京大に行けるかっていうと、ぼく全く成績が
とどかないんだけれどね。なんとなく京大がいいな
って感じがしたんだ。これって自由だよね。思うだ
けなんだから。だって京都ってとても感じのいい街
って感じがするんだ。
これはきっと昨日読んだ本の影響があるに違い
ないんだ。その本には西本願寺と東本願寺がなぜ
あるかって書いてあったんだ。ぼくはかねがね何故
だろと思ってたんだけど、やっとわかった。本願寺は
歴史にも名高い一向一揆の宗派で、信長も悩ませ
た反権力の団体であるが、1592年信長の最大の
ライバル本願寺第11世宗主顕如が生涯を終えた。
そこで12世に、顕如の嫡男教如がなったが、ここで
とんでもないことがおこった。顕如の未亡人如春尼
が顕如の末子准如こそ正当な後継者だと指定した
のである、遺言状があると秀吉に裁定をもとめた。
その結果それが認められ教如は引退した。准如が
宗主になったのが(豊臣系)浄土真宗本願寺派
(西本願寺)。一方教如のほうは、徳川幕府が成立
し、その支援を受け真宗大谷派(東本願寺)ができた。
これによって一向宗は反権力でなく、内輪もめにエネ
ルギーをつかった。家康の思惑どうりである。幕末に
おいても東は佐幕派で、西は勤王であった。分断して
支配する。これが国際的な管理の鉄則である。