ヘロヘロ論考 2
ミシンが泣いている、あるいはワイシャツがいね
むりしていることはさほど珍しいことではない。
たとえば、ピカソはヨーロッパの写実主義の壁を
打ち破った。たとえば、オーネット、コールマンは
コードから自由になることでJAZZの表現をより豊
かにになることを証明した。言葉にも同じことが言
えるのではないか。誤解を恐れずに言わせてもら
えば、文法のしばりにくだされない文章が可能な
のではないか。
そもそも文法なるものは、はたして存在するや
否や。おそらくほとんどの人々が文法を知らなく
ても言葉を使用している。子供ももちろん文法を
習ってから言葉を使用しているのではなく、喋り
だしてから、学校で文法を学ぶ。世界のほとんど
言葉も、文法ができてから言葉ができたわけで
はなく、言葉ができてのちに、言葉のルールを
調べた奴がいて、文法なるものを見っけたのだ。
したがって、調べた奴の数だけ文法ができてし
まった。だからと言って、ぼくが文法無用論をと
なえる気持ちはさらさらない。要するに文法の
奴隷になるな。表現は自由だ、といいたいのだ。
それには、ピカソの才能と、コールマンの勇気が
必要なのだ。