諤諤たる愚人の記 1
日本人は穢れを清めるために塩を盛ったり、撒いたりしますが、パソコンで
まさか塩を撒くわけにもいかぬので、タイトルを変えました。拙き文ですが今
後ともよろしくお願いもうしあげます。
以前にブログで少し書きましたが、かって、ぼくは青春の見栄で、無謀にも、
どうせ緒戦するなら一級の本をと資本論を買いました。登山をはじめたば
かりの男が、いきなりチョモランマの登頂をめざすようなもので、ほとんど愚行
に等しいものでした。結果は惨憺たるありさまで、第一編商品と貨幣、第一章
商品、第一節商品の二要素、使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)有
名な一行目、資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる
商品集積」として現われ、ここの商品はこの富の成素形態として現われる。し
たがって、われわれの研究は商品の研究の分析をもってはじまる。
今こう書いてみると、さほど難解ではないけれど、初チャレンジのときは、な
にやらおぞましく感じ、うんざりした記憶がある。ごぞんじのように、資本論は
純文学なのであまり面白くない、ひたすら退屈とのたたかいである。そしてま
た、この本は誤解をうけている本でもある。この本をなにやら社会主義の喧
伝の役目を負った本なるイメージがあるやに仄聞いたしますが、さに非ず。純
に資本主義社会を分析した経済学の本である。マルクスには、いろんな顔が
ある。革命家、哲学者、社会主義者、ジァーナリスト、経済学者など。マルクス
を古いと全面否定する人々がいるのを知っているが、その意見が間違ってい
るとは思わない。たしかに骨董品である。マックス、ウエイバーよりあとにマル
クスが生まれていたら、違った研究をしていたのかもしれない。 づづく