ふらふらの記 19
さて人間とはいかなるものか。時代じだいに人間像は変化した。やれ考える
蘆だ、とか、やれ道具をつかう動物だ、とか、はたまた社会的存在だ、はては
幻想でいきる動物だ、などと、これからもさまざまに人間像は変化するに違いな
い。人間像はいかようにも変化をとげようが、人間自身はさしてかわらぬ。落語
にでてくる八つぁんクマさんがあまたいる。100年まえも1000年まえも、泣い
てるやつもいれば怒ってるやつ、笑ってるやつ、ふさいでるやつ、不幸なやつ、
のんきなやつなど、いたし、これからさきもいる。全員が幸福な世界なんかくる
ものか。幸不幸は心のありよう、飢餓がなくなり、機械がうまれ、たしかに便利
になったけど、まわりの人々の様子をご覧じろ、幸福そうなやつなんかいやしな
い。みんな欲求不満で不平たらたら、子供たちの顔を見てみろ、アフガニスタン
の子供たちのほうが楽しそうではないか。物質文明の追及を否定するわけで
はないけれど、資本主義というやつは、つねに民衆の欲望をコマーシャルで刺
激され、満足ができない社会だ。だからといって封建主義にかえるというわけに
もいかないが(ぼく個人としては呉智英どうよう封建社会がいい)、できるだけ自
己の欲望をコントロールしたい、いいかたを変えれば欲望から自由でいたい。
欲望の追及の果てに幸福はない。蟻地獄があるのみだ。
偉そうにアジッてるぼくは、はたしていかなる人格者かといえば、そこいらにい
る八つぁんクマさんである。屁もこくし、よだれもたれる。いい女がいればやりた
いなと思うし、宝くじにもあたりたい。ぼくが好きなキリストや親鸞も、基本はぼく
のようなスケベで、ケチなお調子者だと、ぼくは理解している。、