ふらふらの記 12
流れゆく川をみながら、こうぼくは思う。ぼくがずっと川を眺めて飽きないの
は、どうしてなのか?ここ四日ばかりぼくは川をひねもすしたすら眺めている
が一向に飽きないのだ。これは何故だ。
例えてみよう。日本人が好きな富士山も美しい。ぼくは以前東京に住んでい
た。そのころぼくは夜と昼がさかさまになり、牛乳配達の音が聞こえる頃眠り
についた。ある日の夜に雨が降ったが夜明けは晴れていた。腹がすいたので
寝る前に何か食うものをと下宿を出た。帰りに歩道橋を歩いていると、南前
方遥か遠くに富士がいた。ぼくは親しい知人と会合したような驚きでしばらく
眺めていたが、10分で飽きた。
雲でもそうだ。じっとしている雲はつまらないが、夏の入道雲を眺めていると
飽きがこない、というよりも、砂浜で寝そべってそれを眺めていると、ワーグナ
ーの音楽が頭のなかに轟だして、さながらオペラの一場面を観劇しているが
ごとし。ちまちましたさやかな美よりも、たとえばぼくじしんが卑小な存在とし
て、神のまえで拝跪するような、そんな感じにおそわれるのだ。
と、すればいったいぼくは何に感動しているのだろうか。変化だ、動きだ。そ
うだ、変化するもの、動いているものに感動していたのだ。変化しているもの
は飽きない、動いているものは油断できない。そういうことなのか。
それでなっとくした。ぼくはかねがね街をあるく人々を眺めたり、あるいは浜
辺で打ち寄せる波を好んだのは、動いているものへの興味だったんだ。変化
しているもの、また動いているものは、見ている者を飽きさせない。富士山が
あまたの人々を魅了するのは、一見微動だにせぬようだが、実は、刻々と変
化するその姿に、人々をして感動なさしむるにちがいない。