ぼくの想い出にのこる本 17
ぼくがはじめて詩集を買ったのは中原中也だった。なぜその本をえらんだ
か、どこで買ったかすら記憶にない。そのころぼくは、ひどい劣等感にさいなま
れ、自己嫌悪と、いきることのえの失望から、鬱々とした日々を過ごしていたの
であるが、無意識が藁をもつかむがごとく、中也を選んだのかもしれぬ。
まず中也を読んで感じるのは、その強烈なニヒリズムである。くわえて薬味と
しての、ものがなしさ、辛辣な皮肉、そこはかとないユモアー、叙情、さらに美的
な表現があやなして創作されているのは疑いない。中也は黙読よりも音読がよ
りいい。ぜひおためしをあれ。
中也こそただひとりの友だった。ポケットのなかにはいつも中也がいた。ぼく
のなかにあるだろう琴線に中也のニヒリズムがふれ、音楽を奏でたのだ。ぼく
のうちなる巣食う闇が中也に反応した。そのときぼくは生きれると思った。ぼく
はまだ青春まっただなかであった。
あの中也詩集はいったいどこにいったのであろうか。おそらくはぼくの茅屋の
乱雑に積まれたあまたの本たちのなかで埃にまみれ、人知れず眠っているに
ちがいないのであるが、はたして再びあえることは可能であろうか。ぼくは思
う。会いたい気持ちと、あわずにいようという気持ちが、相半ばするのだ。ちょう
ど昔の恋人とあうことをためらう心に似て、逡巡してしまうのだ。過去の美しい
記憶を傷つけたくない。いやいやもっとおおきな感動をあたえてくれるかもしれ
ない。ぼくは判断をつけぬまま今日に至ってしまったのである。