独り言  6月23日 | はなのブログ

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           ぼくの想い出にのこる本 16

   漫画もぼくは夢中に読んだ。手塚治、白土三平、赤塚不二夫、谷岡ヤスジ、な

  どを好んだ。本棚には大きな顔をして、火の鳥、忍者武芸帳、天才バカボン、 

  岡のアサーの本が並んでいる。もちろんつげ義春の、必殺するめがため、つ

  義春とぼくのほんもある。

   ねじ式との出会いは偶然だった。授業がおわり、寝ていたぼくは気が付けば一 

  人になっていた。やれよく寝たな、と教室から出ようとしたとき、扉のよこの机に

  黒の表紙の雑誌が忘れられていた。なにげなくその本を手に取り見るとロと書

  かれていた。ぺらぺらとペーエジをめくるとねじ式とタイトルがあり、つげ春の

  名があった。これがつげ義春とのであいである。

   ぼくは渋谷の大盛堂によく本をさがしに行ったが、つげの本はめったになくて

  もっぱら古本屋で時々ガロの古本を見つけてかった。その作品は、古本と少女, 

  沼、チーコ、李さん一家、海辺の叙景,紅い花、ほんやら洞のべんさん、ゲンセ

  ン主人、もっきり屋の少女、石を売る、無能の人など忘れられない。紅い花のキ

 クチサヨコ、もっきり屋のコバヤシチヨジなどは、なつかしい幼馴染のようだ。いま

 でもぼくの机のまえには、つげの李さん一家のさいごのページのコピーと谷岡ヤス

 ジの牛のコピーが貼ってあり、読書に飽きた時など、よく眺めるのだがいつ見ても

 おかしいのが、なぜかおかしい。

  ねじ式などは前衛的な作品だけど、どことなくつげの全作品に通じる叙情がなが

 れている。寡作な人だけになかなか新作をみれないが、愛読者としてはつきなみ

 だが、首をながくしてまつよりしかたあるまい。