ぼくの想い出にのこる本 16
漫画もぼくは夢中に読んだ。手塚治、白土三平、赤塚不二夫、谷岡ヤスジ、な
どを好んだ。本棚には大きな顔をして、火の鳥、忍者武芸帳、天才バカボン、谷
岡のアサーの本が並んでいる。もちろんつげ義春の、必殺するめがため、つげ
義春とぼくのほんもある。
ねじ式との出会いは偶然だった。授業がおわり、寝ていたぼくは気が付けば一
人になっていた。やれよく寝たな、と教室から出ようとしたとき、扉のよこの机に
黒の表紙の雑誌が忘れられていた。なにげなくその本を手に取り見るとガロと書
かれていた。ぺらぺらとペーエジをめくるとねじ式とタイトルがあり、つげ義春の
名があった。これがつげ義春とのであいである。
ぼくは渋谷の大盛堂によく本をさがしに行ったが、つげの本はめったになくて
もっぱら古本屋で時々ガロの古本を見つけてかった。その作品は、古本と少女,
沼、チーコ、李さん一家、海辺の叙景,紅い花、ほんやら洞のべんさん、ゲンセ
ン主人、もっきり屋の少女、石を売る、無能の人など忘れられない。紅い花のキ
クチサヨコ、もっきり屋のコバヤシチヨジなどは、なつかしい幼馴染のようだ。いま
でもぼくの机のまえには、つげの李さん一家のさいごのページのコピーと谷岡ヤス
ジの牛のコピーが貼ってあり、読書に飽きた時など、よく眺めるのだがいつ見ても
おかしいのが、なぜかおかしい。
ねじ式などは前衛的な作品だけど、どことなくつげの全作品に通じる叙情がなが
れている。寡作な人だけになかなか新作をみれないが、愛読者としてはつきなみ
だが、首をながくしてまつよりしかたあるまい。