ぼくの想い出にのこる本 15
呉智英はぼくにとって重要な作家である。なぜ重要かといえば、ぼくのなかに
ある思い込みとか、こうとしか考えられないというドグマを、彼によってやすやす
と粉砕してくれるからだ。
たとえば、民主主義、進歩思想、人権思想など、神棚にあげてひたすら拝跪
し、犯すべからざる存在の神たちの偽善をあばいてしまうのだ。だからといっ
て、彼ががんめいな保守主義者とか右翼思想のもちぬしともちがう。
彼の本は、なんていうか力があるのだ。説得力がある。ぼくは思う。本はたし
かにそこに書かれていることが一番だいじだけれど、著者の信用というか人柄
というか、文章からつたわるサムシングが読者には敏感につたわる。どんなに
よいことが書かれていても偽善を感じると、汚いものを投げ捨てるように読むの
をやめてしまう。
ぼくのなかにはもうひとりのぼくがいる。そのもう一人のぼくがいつもぼくを監
視している。これをクリスチャンにたとえれば、その人のなかに絶えず監視する
神がいるのだが、ぼくのなかのもうひとりのぼくは神ではない。もうひとりのぼく
は世間の目であり、ニーチェであり、マルクスであり、ドストエフスキーであり、
聖書であり、論語であり、親鸞であり、道元であり、また太宰治であるのだが、
呉智英は、ぼくのなかのもうひとりのぼくの偽善さえみぬきあざわらってくれる
のだ。それがぼくにはなぜかうれしい。呉智英の思想は、ぼくのなかにある硬
直した、あるいは老化したとよんでもいい、その判断をみなおすよき指針なので
ある。呉智英よいっもありがとう。