ぼくが銭湯をすきな本当の理由 特別編
男性の異なるところにふれて、婦人の異なるところを避けるのは、フランス革
命の崇高な理念の一つ平等に反するし、またマルクス、親鸞両先生の教えにも
劣る。しかるがゆえに、あえて下品にながるる危険をおそれず、はからずも挑
戦をしてみることにした。
おたちあい、まず異なるという言葉をもちいているが、むしろ婦人の場合、聖
なるところという尊称をさしあげたい。これはぼくら、むさくるしい男どもが婦人
を畏敬し、憧れ、尊敬もし、原始女性は太陽だったことを、認めるにやぶさかで
ないことの証しである。
今は昔こんなことがあった。中学のとき、朝、登校で校門をとうると、なんと
近所の婦人が道端で、盥で行水をしているではないか。前を歩いていた好色の
噂がたかい校長がメガメをずらして覗き込む姿を確かに見た。婦人はちょつと
色白の太めで、幼女のような笑顔をうかべていた。心が病んでいたらしい。驚
きはしたが、いやらしj感じはしなかった。
銭湯で男の異なものは鑑賞できるが、婦人の湯に闖入することは叶わぬ。さ
てどうしたものか、思案していたら、あら不思議、ぼくは18歳で世田谷の瀬田
というところの下宿にいてるではないか。
親元をはなれ、かねて夢見た一人暮らし、なにをするのも自由、悪いことは
し放題。さてどんな悪いことをしょうかな。 づづく