ぼくの想い出にのこる本 6
小林秀雄がそうだったように、ぼくらの世代にとって吉本隆明は特別のそんざ
いです。ぼくがどれほど吉本を理解しているかは自信がありませんが、少なくとも
自立せよ、権威におもねるな。ということです。人生は大海を航海する船にたとえ
られますが、吉本はちょうど灯台のようなものです。自分の位置がわからなくなっ
たとき、吉本の言葉をのぞき航路を修正するのです。でも時々灯台の光を無視
することもありますが。
埴谷豊高は神秘的なそんざいでした。孤高という言葉がとてもよく似合う作家
で、本をよく読む人にきいても、さあーと肩をすぼめるばかりで、つぎに、難解と
いう言葉がつづくばかりで要領を得ません。カントとドストエフスキーに影響をうけ
たのですが、とにかく難しい、しかし、ここまで難しいと、開き直りで誤読をしてみ
るのもいいですね。
聖書を買ったのは、神田の古本屋でした。口語訳なのでいいかな、と買った
んですが、失敗でした。聖書は文語訳にかぎる。たとえば万葉集読むと原文がい
いですね、口語訳はつまりません。それと同じように聖書は文語訳のほうが重厚
にかんじます。旧約も新約も面白い物語ですが、いぜん古事記を読んだときとお
なじような印象をかんじたのは、フィクションとノンフィクションの部分がわりとはっ
きりとわかるようなきがしました。なにしろ、近代文明は、この聖書のなかから生
まれたものですから。日本も例外ではありません、法律(旧新憲法、民法、商法
など)はキリスト教、神道、儒教のかおりがする言葉がみうけられます。