システム的に認識だったり思考だったりをさせることに触れてみると、人間は凄いと思い知らされます。日常的な行動1つを取っても、それをシステムで実現することは難しいものです。特に思考については人工知能として研究がつづけられていて、iOSのSiriには驚かされましたが、それでもやはり人間と人間とのコミュニケーションには及びません。
思考は、段階的に判断することを続けることで成り立つものだと考えています。限定的な思考でも、プログラミングで表現しようとするとif文を沢山使用することになるためです。何かを思考する際は、大抵の場合、前後に判断が入ります。その判断基準や判断内容が人によって異なることも、難しい部分だと思います。
大半の人は、相手の判断基準や判断内容を知りません。そのようなわけで、その判断基準や判断内容を形成したものも知りません。人とコミュニケーションを取る上で、関係の良し悪しが深刻化しやすい部分が、この判断基準や判断内容なので困ったものです。"相手の事情を知らないで~"とか"相手の譲れないものを~"とかは、実にあるあるです。その時、悪い方は「相手の判断基準や判断内容を考慮しきれなかった側」なのか「相手に判断基準や判断内容を知らせなかった側」なのか。まぁ、お互いに"そんな無茶な"という感じですよね。難しいものです。
この辺で上手くまとめると良い感じなんでしょうけど、色々思うことがあってまとめ切れそうにないので、問題提起するだけで終わりにしたいと思います。 ただ、個人的な意見の1つを書くとすれば、"安易は良くない"でしょうか。良くは無いけど、悪でもない。そんな感じです。
では。