実家に帰省したら、なんと父が皿洗いをしてました!

遂に…

2016年12月ロンドン旅行中に大げんかになった、父の男子厨房に入らず問題が、ついに私の理想のかたちで終結しました。

どんなに母の体調が悪くても絶対台所の手伝いをしない父にずーっとずーっと腹が立ってた。帰省するとこれ見よがしに手伝いしてた。

そんな父が、毎回食事の後に片付けをするんだそうです。

すんごく嬉しい。

そして、なんか幸せ家族で愛されてるって気持ちになりました。不思議だけど。

父が母を大事にすると、子供は幸せなんだと発見しました。

今までの全部が溶けて、私は素敵な家族に愛されて育ったような気さえしてきました。

めっちゃ嬉しいです。






瞑想が進んできました。


きっかけはこの本。
思った以上におもしろかったです!
私は愛なしさんだろうと思いながら読んだ。

この本の中で、何故か「捨てられる」という言葉がめっちゃ刺さったので、その言葉をテーマに瞑想してみることにしました。カルマじゃなくてトラウマの問題として。

そしたら、子供の頃、両親に怒られてよく蔵に閉じ込められてたことを思い出した。実家が旧家で古い蔵があったんです。

真っ暗闇で本当に怖かった。

お願いだから蔵に閉じ込めないで、と懇願してる私を、親は無理矢理押し込んで閉じ込めてた。その時の断固として許さないという顔がはっきり思い出せるのです。

支配される感じ。

怖くて怯えてる私。

捨てないで、って言葉は、きっとこの時の体験と関係している。

無力な私

愛されない私


こんなことを頭の片隅に置いて瞑想したら、子供みたいにびーびー泣けてきた。

もう大人だから

私は大丈夫

私は無力じゃないし

私は愛される

私は愛されている

私は愛で溢れている


そっちに向かうための一歩を踏み出した気がします。

玉ねぎの皮が一枚剥けた感じ。










ここのところのプレッシャーと疲れの蓄積がドバーッと出てきた感じで、とにかく小麦粉製品が食べたくて、締切間近の書類は構想すら出来てないのにGYAOでドラマ観まくりです。

そんななか瞑想してたら、とても意外な気持ちが出てきた。

関連するのは先週末の出来事。一緒に夕食した仕事仲間が、食事後になんだか変な、はっきり言うと一緒に寝たそうな感じで、ファザコンともこならたぶんそうしてた。実際その人のことはかつて大好きで、なんならその人の子供を切望した時期もあった。それをどうにか振りきってお家に帰った私はエライぞ、昔のともことはもう違うぞと思っていたのですが。

瞑想してたら、私の本当の気持ちはあの時一緒に寝たかったらしいことが分かった。自分でびっくりした。

そういえば私、ここのところ自分の女性的な部分をめっちゃ無視してきたなぁと。

私もっと女の子でいたい

甘えたいし、だれかの横で安心してたい


だけど、なんかそう思ってはいけないような気がしてた。

女の子の私が、押さえつけられて不満爆発な状態だったのだと思うと、なんかえらく納得しました。


なので、そんな納得感と共に、ともこお疲れ!という気持ちを込めて、昨日は仕事休んで、お昼からワイン飲んで、奥の方にしまわれてたカップラーメン食べて、お昼寝したらすんごいスッキリした。


私ここんところ頑張ってたわ。

一人でも幸せで居られる私じゃないと、本当の幸せにはなれない

女の子のともこは、男子に面倒くさがられる

だから、一人でもハッピーでいられる私にならないと

私のベストパートナーに釣り合う私にならないとって。



これ、もう卒業しようと思います。

私、今の私で彼氏ちゃんと探そうって思った。

出来るまで待つんじゃなくて、作ろうって。

彼がほしいって気持ちに正面から向き合ってみようと思います。なんか照れるけど笑。


もうこの業界に入って16年。

結構長くいたものです。

そのなかで、いろんな人にお世話になって、お世話して、

近付いて、離れて、

羨んで、羨まれて、

妬みや嫉みがいつも溢れてて


いろんな人を好きになって、嫌いになって。

もう私には必要ない場所じゃないかと思ってみたり

そんな思いが思春期の抗いのように思えたり。


とっても生々しくて、だから嫌いだけど、でもそれはそこで生きてる証拠?


今はそんな業界の年に一度の定例会

昨日はその場所で、私が昨年恋してた彼が晴れの舞台を迎えました。

私は今年は裏方の役員なので、誰かのプレゼンを聞く立場には無いのですが、どうしても気になって10分くらいだけ聞いてみた。大ホールの隅っこで演台に立つ彼を久しぶりに見て彼の話をちょこっと聞いてみた。

そしたら、ファザコンともこの周波数が一気に戻ってきて、呼吸が乱れて困った。
依存症だと思いました。

その後、大の苦手の懇親会の司会だったですが、彼のことでそわそわしすぎてめっちゃ心が忙しかった。

そんな気持ちをシェアさせてなだめさせてくれる15年来の友達がいて

ふと思えば、その友達も15年前はファザコンともこの犠牲者だったのに今はお互いにとってよき理解者で

司会で緊張しすぎた結果居たたまれない気持ちになった私と飲んでくれる役員仲間がいて

すっかり気が緩んだところで「聞きに来てくれてありがとう」というかつての彼からラインが来て、また一気にダークサイドに落ちそうになり

今日も彼に会って一言話したいという自分の衝動を抱えながら見つめつつ(特に行動はせず)

彼のプレゼンを酷評する噂が聞こえてきたり

若い子達の希望と好奇心に満ちた眼差しから微笑みをもらったり

仲間の役員達にほっこりさせてもらって


最後は裏方のみんなでワイワイ打ち上げして

今幸せに家路についています。

ありがとう。

いろいろな気持ちを味わせてくれてありがとう。


いつ卒業するか分からないけど、今日の私には大切な場所。

私の歴史が見える場所。

喜怒哀楽のすべてがある場所。

懐かしくて、いつか飛び立ちたい場所。






村上龍の2002年の小説が凄すぎてびっくり。
まだ震災前なのに。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」

最近の若者が自民党に投票する理由のパッシブさに驚いたけど、今の世の中一般としてはおそらく確実に2002年より希望がない。

だけど、そんな現状を認識して、意識的にその流れに同化しない人達がますます増えてる感じもする。

まったくの個人的見解ですが、「ぽつんと一軒家」の人達ってその代表選手だと思うのです本人の意思はさておきですが。

こんな時代だからこそ自分の軸が大事。

こんな時代だからこそ内側とつながることが大事。

自分としっかりつながってる人が増えれば増えるほど、世の中は明るくなるって思う。

中学生に恥ずかしくないような、自分に恥ずかしくないような40代で居たい。

まだまだ恥ずかしい今日この頃だけど、そんな恥ずかしさを認めて、シフトしていこう。