水上哲夫のブログ

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あちこちで話したことなどを書き綴っていきます。おんなじ話を繰り返さないように・・・

第一生命でマッカーサーの机を見た。

 

少し大きめで、引き出しがない。マッカーサーがこの机を利用するとき、不便ではないかと考えた。以前の使用者である石坂泰三
に問い合わせると、

「社長たるべき者は、持ち込まれた会社の問題は即決すべきで、引き出しの中に寝かせるべきでない」

と答えたという。その答えに共鳴したマッカーサーはそのまま使い続けた。石坂泰三は、戦後東芝の社長や大阪万博の会長を務めている。

 

ダイエーが東京に本社を移転後、友人に頼んで中を見せてもらったことがある。事務スペースではフリーアドレスのシステムを採用していた。このシステムでは、机に引き出しはない。ファイリングシステムの引き出しから必要な書類を取り出して作業をし、終わったら元の場所に戻す。

 

もう一つ、思い出した。パナソニック3代目の社長だった山下俊彦さんの話である。彼は工業高校出身で、平取締役から大抜擢され22人を追い抜いて社長になった。部下から指示が求められるとその場で即決したという。そのわけを彼はこういっている。

「決定しないことが最悪。その場にある情報で全力で結論を出すことが大事だ。間違いに気づいたらその時に訂正すればいい。」

昔、スーパーのチラシを見比べて、一円でも安い商品を求めてあちこち回る人がいました。砂糖などがその対象でした。でも、今はどうでしょう。昨年度はコメ価格の高騰が話題になり、備蓄米が放出され、人気を集めました。しかし、高いブランド米の価格はそれほど下がりませんでした。

 

今、スーパーの人気は、総菜が決めるといわれています。総菜がおいしいかどうかで人々は店を選ぶ。ポテトサラダの値段が1円安いからといってまずいサラダを買う人はいない。

 

もう一度、コメに戻りましょう。昔はコメというくくりで評価をしていました。いまは会津のコシヒカリと北海道のゆめぴりか、ブレンド米の品質を比較しながら価格を見ています。品質によって価格が違うことを無意識のうちに認識。言い方を変えれば価格の中心が量から質に移ってきています。

 

商品を扱う時にもこのことは言えます。同じ商品を売っても、鮮度の良いものや配達の正確さによって違いはつく。その違いのほうが商品そのものより価値を持つ場合も出てきます。

 

※SOC年次計画書に掲載しました。

7年度はスポーツの話題が多く、ワールドベースボードクラシックでは、ベネズエラが優勝。日本は残念ながらベスト8止まりでしたが、大谷翔平、山本由伸などの活躍は日本中を熱狂に巻き込みました。サッカーでは日本代表がイングランドを撃破。女子のなでしこジャパンは、女子アジアカップで予選を17得点無失点で通過、優勝しました。卓球もじりじりと中国に迫り。フィギュアスケートは表彰台が当たり前と思えるようになってきています。

 

先日、芦ノ牧温泉の大川荘に泊まった時、台湾からのお客さんがたくさんいて、3割ぐらいを占めていたと思います。同じく市内の料亭にも台湾からのお客さまが増加。日本全国に吹き荒れるインバウンド観光客の波は、須賀川にも押し押せています。

 

観光客の増加は、日本がいかにいいところかを示しています。そうでなければ人はやってきません。実際、Youtubeなどでは日本の清潔感や食事のおいしさへの賛辞が並びます。我々はもう少し自分の持っているものに自信をもってもいいのではないでしょうか。売るべき商品も採用すべきサービスも、本当は足元にあるのかもしれません。

 

※SOC 令和7年度年次報告から

大阪通天閣に上った。

 

登るのに1,500円払ってエレベーターに乗る。二階で降りていくと、大阪に関係のあるガチャの自動販売機が並んでいる。突き当りで、ビリケンさんという幸福の神様と写真を撮りませんかといわれた。1,500円だという。来た人はみんな頼んでいた。足の裏を触ると願いが叶うというので私も触りながらパシャ。展望台に着くと写真を受け取る。

ぐるっと回って、降りてくるとグリコの歴史や商品を紹介するコーナーがあって、キン肉マンの展示もある。

土産物の中を通らないと帰れないようになっている。

 

買ってもらおうという工夫が満載で、そのくせ押しつけがましくない。商品も昭和の雰囲気が漂う。ああ大阪だなあという感じがした。これが東京だと、どんなもんなら売れるだろうかと知恵を絞っている感じがある。何が売れるかと考える東京と、どうやったら買ってもらえるだろうかと考える大阪。なかなか面白い。

 

いつのころかはわからないが、こんな警句をよく覚えている。

 

「空中に消えるものに運命を託さない」

 

携帯電話というのは便利なものだ。その場で様々な処理ができる。でも処理は簡単だけれど証拠は残らない。電話をした相手が、そんなことは聞いていないといえばそれ以上追及する方法がなくなる。

相手と打ち合わせの時間を決めたとして、時間は3時なのか13時なのか不安になったらどう確認すればいいのか。再度電話するのか、今度は相手が電話に出なかったらどうする?

 

昔、ソフトウエアの開発をしていた時、口頭での修正依頼を受けないようにしていた。修正した後に、「そんなことは言っていない。」とか、「そういうつもりで言ったのではない。」ということが起きると膨大な無駄が生じる。場合によってはその無駄が数百万円に達するおそれもある。

だから、修正依頼はメールで受け取るようにしていた。口頭の時は、こちらからメールにして相手に送って確認してもらった。

 

再確認できないということは非常に怖い。音声のような空中に消えるものに依存するのはやはり危険だ。

 

 

商人の「商」という字の始まりと歴史を考えてみたい。

古代王朝である殷の人々は自らの王朝を商と呼んでいた。この王朝「商」は占いによって王朝を運営し、たくさんのいけにえを必要としていた

商という字の成り立ちはいろいろあるが、白川静さんの常用字解によれば
口は神への祈りの祝詞を入れる器であり、それ以外は刺青を入れるための針「辛」とそれを立てる台を意味するという。成り立ちからして、いかにも神権国家らしい雰囲気をまとっている。
ついでに言えば、辛と口の組み合わせは、言という字である。この文字は神への誓いを口にし、それが守られなければ罰を受けるという意志を示している。

周の武王との戦いに敗れ、王朝が「周」に変わったあと、敗者である商の人々は各地に分散した。土地を持たぬために、さまざまな物品を交易する業務に従事するようになった。

戦国時代になると国家が巨大化し様々な物産がうまれ交易も活発化する。
交易に携わる人々は増え商の遺民に限らず様々な人々が参加していくようになった。その人々も含めて彼らは「商人」と呼ばれるようになる。

「史記」には、商いとは、あるところで余っている品物を不足しているところへ持って行って売ることと書いてある。現代は産業が発達し、初めから需要の見込める商品を大量生産で作ることが多くなった。しかし、基本は変わらない。欲しがっている人に欲しいものを届けるために私たちは働いている。
 

とある二つの会社がある。仮にA社とB社としよう。

 

A社の社長はまじめで始業時間前に出社、会社の周りを掃除。携帯を片手にあちこちに指示を出したり、お客と連絡を取ったり忙しそう。夕方みんなが帰った後も残って仕事をし最後に帰る。

 

B社の社長は、いつも始業時間ギリギリくらいに出勤。机に座っているかと思えば、現場に出たり、外へ出たりといつもその辺をぶらぶらしている。夜のお付き合いも多いようで早めに退社することもおおい。

 

A社のほうが立派な社長さんだろうか。でも、ここでもう一つ情報を提供しておく。

 

A社の業績はあまりよくない。収支はいつもトントンか赤字である。一方のB社の業績は良い。売り上げは伸びているし利益も出ている。

 

社長の仕事は、業績次第である。時間厳守だとか、てきぱきしているとか、身だしなみがよいとかそういうことは決して無駄だとは言わないが肝心なことではない。必死に働いて成果の出ない社長より、ぶらぶらしていても成果を出す社長を有能と呼ぶ。

東日本からスーパー「ダイエー」の名前が消えるとのこと。私は昭和50年から57年まで足かけ7年お世話になった。若いころだったのでいろいろなことを身に着けた。社会人の常識といってもいいもかもしれないが思いつくものを上げてみたい。

 

「先入先出」 いわずと知れた古い商品から先に品出していくという鉄則である。店頭の実習に行ったとき、ディリーの先輩が陳列されていた100個以上あると思われるバターをすべて別の棚に移し、入荷してきたバターを下に敷き、陳列されていたバターをその上に移し替えていた。ずぼらで怠惰な学生時代を過ごした私は何と面倒くさいことをするものだと衝撃を受けた。今は生活習慣の一部となり、冷蔵庫の中は古いものは手前に、新しいものは奥に何も考えずにやっている。

 

「定物定位」掃除道具や工具などは、必ず元の位置に戻す。ということである。昔、会議室の管理をしていたころは、会議室の机と椅子は動かしたら必ず元に戻すように指導していた。言い方を変えれば、掃除は掃除道具をもとに戻して初めて終了する。ということだ。小学生のころ、忘れ物の天才と呼ばれ、忘れ物のグラフが天井まで届きそうになった私だが、バッグの中のスマホやカギの位置を決め整理するようになってからは物忘れも人並みになったと自負している。私だけかもしれないが・・・

 

昭和のころ、「北京の55日」という映画があった。義和団事件を扱っていた。日清戦争の後、清の弱体化が明白となり、そこに付け込んだ対外列強が清の利権の奪い合いをしていた。中国民衆の間で外国人に対する反感が広がり、義和団と呼ばれる宗教団体が扶清滅洋を唱えて反乱を起こす。清朝政府も最初はこれを鎮圧しようとしたが、その後この暴動に乗じて自分たちの勢力を拡張しようと図った。

 

暴動は北京に及び、対外公館の区画に義和団とそれを支援する清朝軍が襲い掛かる。当時北京にいた日・露・英・仏・米・独・墺・伊8か国の公館職員とそれに伴う軍人ら580名が協力してこれを防いだ。総司令官に押された英国公使マクドナルドは、副官である日本の柴中佐に厚い信頼をおき軍事を任せた。

 

柴五郎中佐は、会津人で10歳の時鶴ヶ城の落城を味わっている。当時何もできなかったことのリベンジマッチだったのかもしれない。天津から連合軍が駆け付けるまで、彼らは55日間の籠城戦を戦い抜いた。彼の実直さと日本軍の勇猛果敢に感銘を受けたマクドナルドは、帰国後日英同盟を推し進めることになる。

守城の人 柴五郎

 

ミスコンテストが減ってきたのはいつごろからだろうか。応募者が女性だけなのはおかしいとか、容姿のみで評価するべきではないとか。さらに女性参加を推し進めるために女性の国会議員を増やせとか、大学も女性枠を設けろとか。いろいろとうるさくいう人が増えてきた気がする。

 

でも、みんな女性の美醜には関心があるし美容整形も大流行りだ。昔、「美人は得か」というテーマでディベートをやっていた関係でこの手の話にはなんとなく関心が向く。

 

そんな時、Youtubeの私のページに表れたのが「可愛くてごめん」という歌だ。いろいろな人が歌ったりダンスをしている。音楽ユニットHoney Worksが作った、すごくポジティブで明るい曲だ。

 

まず出だしがいい

「私が私の事を愛して 何が悪いの?嫉妬でしょうか?」
そして、私は私のやりたいようにやるという。
「大好きなお洋服 大好きなお化粧で お決まりのハーフツイン巻いて お出かけしよ」

最後にこう胸を張る
「Chu! 可愛くてごめん ムカついちゃうよね?ざまあw」

 

さまざまな雑音に、「ざまあw」と言い切る勇気。聴いてて気持ちがいい。