水上哲夫のブログ

水上哲夫のブログ

あちこちで話したことなどを書き綴っていきます。おんなじ話を繰り返さないように・・・

青春ドラマなどでよくあるシーン。クラブのエースだった男(女)がけがで競技をあきらめざるを得なくなる。彼(彼女)は嘆き悲しみドラマはクライマックスを迎える。

どんな人生にも引退はある。それまでにはさまざまな出来事があるのではないか。

 

一直線に生きることは果たしていいことなのだろうか。後藤新平は、医者をめざして須賀川医学校を卒業する。日清戦争後大陸から戻る兵士23万人のコレラ検疫を2か月でやり遂げたあたりから政治家色が強くなる。その後、台湾民生局長官としてアヘンの撲滅に力を尽くし満州鉄道総裁を経て東京市長となる。

もともと彼は政治家志望だったという話もあるが、医学生として得た知識と経験がその後の人生に大いに役立ったことは間違いない。

ちなみに、今の朝ドラ「風、薫る」に登場した中村倫也演ずる患者柳生はどうやら後藤新平がモデルらしい。

 

人生には紆余曲折がある。おかれた場所できちんと努力を積み重ねていくことが大事で、その知識と経験が思わぬところで役に立つことがある。

 

今日の日経流通新聞にヨークベニマル名誉会長大高善興さんの文章が載っていた。

 

 

故鈴木敏文氏の功績で最大のものは「タンピンカンリ」だったという。これはトヨタのカイゼンと同様世界中でイノベーションを生み出した。もちろんコンピューターの発達なしではなしえなかったことは間違いない。

 

PCがではじめたころ、8ビットのパソコンで会社の請求書二百枚余りを印刷したことがあった。請求データを入力しコード順に請求書を発行するという簡単極まりないシステムだったが印字が終わるのに10時間もかかったことを思い出す。今や、数百万数億のデータ処理を瞬時にやってのける最新機器を見ると隔世の感がある。

 

現代では、どんな季節にどんな時間帯でどんな人が何を買ったのかを分析できる、そういうファクトを積み上げて事実を探り出し解決策を探ることができるようになった。なんとなく売れてる、とか、お客さんが来ているなどというあいまいな判断で終わってはいけない。それは何時なのか、どんなお客さんなのかをきちんと押さえられる時代なのである。数値に語らせる工夫が欠かせない。

中国はレアアースの輸出に制限をかけている。日本国内は大変だと大騒ぎ。これに対する2つの記事が対照的で面白い。

 

一つは、「中国のレアアース産業に『致命的な弱点』」という台湾自由時報のニュース。これによれば、レアアースに関する重要な特許は米国や日本が押さえている。いくらレアアースを持っていてもこれを製品化する技術を持たぬ中国はそこが弱点である。

 

 

 

もう一つは、「中国、『レアアース鋼』で狙う強靱な覇権、川下の製品加工まで特許寡占」という日本経済新聞の記事だ。中国ではレアアースの用途を開発すべく、最先端の鋼材開発に力を入れ、2025年には新規公開特許の80%を中国が占めている。

 

 

2つのニュースのどちらが正しいかと考えると事実を見誤る。レアアースの輸出を絞れば、販売量が減少し在庫が増える。中国国内での消費量の増大策を考え、レアアースの利用に関する研究・開発に力を入れざるを得ないという実態があるのではないか。

 

ここまで考えて、多様な意見を捨てることなく拾い上げてまとめていく過程は、DEI(Diversity多様性、Equity公平性、Inclusion包括性)と呼んでいいのではないかと思う。

 

 

 

発明王エジソンの逸話である。小学校に通い始めたころ。1+1はどうして2になるのかがわからないと先生に質問したという。いくら説明してもわからない彼に先生はもう学校へ来なくてよろしいと言い渡した。彼が現在の小学校に通っていたらどんなことが起きるだろうか。

 

似た話があって、小学校の先生に、「1+1はどうして2なんですか」と質問すると、こんなこともわからないのかという顔をする。ところが一流の大学教授に同じ質問をすると、黒板の前で腕を組んで考え込んで動かなくなった。という。

 

エジソンは、泥団子1個に別の泥団子を混ぜても(大きい)1個の泥団子にしかならないと考えたらしい。

実は同じものという概念は意外に難しい。2個の饅頭が同じというのは厳密に言うとあり得ない。砂糖の量は百万分の1ミリグラムまで同じだろうか。同じとして、すべての分子の配列個数まで同じだろうか。そう考えるときりがない。

要は人間がわかりやすくするように適当なところで丸めているに過ぎない。

 

 

劉秀(光武帝)のことを調べていると、後藤新平を思い出した。劉秀は農業の達人であり、後藤新平は医学を政治に応用した人である。

 

後藤新平は、岩手県水沢の生まれで、福島医学校(福島県須賀川市)に学んだ医師であった。その後政治を志す。1898年に台湾民生長官、1924年に東京市長となった。関東大震災の復興の青写真

を書き、そのけた違いの発想力で大ぼら吹きといわれた。

 

彼は社会を生物としてとらえ、生物学の原則として衛生環境を重視。台湾民生局時代、台湾では人口300万人の1割以上がアヘンを吸引していた。彼は、アヘン吸飲者を登録制に、アヘンを専売制にし登録された患者にのみ販売。その方法でアヘンの害を徐々に減らしていった。さらに、上下水道の普及させ、疫病の撲滅に力を尽くす。

 

劉秀と共通するのは、社会をシステムとしてとらえ、構造から問題の解決を図ろうとする姿勢である。

 

最近経営管理でOODAという手法が注目されている。Observe(観察)・Orient(状況判断)・Decide(意思決定)・Act(実行)の頭文字である。劉秀も後藤も事実の把握が最初に来ている。客観的な分析で全体の構造をつかもうとする。だから問題を根本から改善する施策が打てる。時代は変わってもリーダーのやるべきことはあまり変わらない。

朝ドラの「風、薫る」で第10週は「疾風に勁草(けいそう)を」がテーマだった。これは、劉秀(光武帝)の言葉である。

「疾風に勁草を知る」とは、強い風が吹いて初めて強い草がどれかわかる。言い換えると、困難にあって初めてその人の実力がわかる。という意味になる。


若き日の劉秀は貧しく、自分で農作業に従事していた。まじめでおとなしい人で、農業者としては優秀だったらしい。『東観漢記』には、南陽の作物が壊滅した時でも、劉秀の畑だけは収穫があったという。だからか、個の力では抗しがたい状況があること。人間は自然のサイクルの一部であることを知っていたのではないか。

 

実際、兄の劉演が更始帝の陰謀によって殺されたときも、すぐ敵を討とうとはしなかった。そして、独立の時期が来るのをじっと待った。皇帝になってからも、奴婢解放令を発布し、奴婢を農村に帰す。税率を十分の一から三十分の一へさげる。など農業を根本的に復興させる政策をとる。

 

劉秀という人は、本人に教養があり、政治をシステマティックにとらえるセンスのあった珍しい皇帝であったといえよう。現代に共通するリーダーシップの資質を持った人物だったのではないか。



 

こんなお題で話をしろという。
わたしは、あんこのないほうから食べることが多い。昭和20年代は、空腹の時代。その時代に生まれた。食事は残さず食べるし、食べきれる時代だった。昭和30年以降に生まれた人は、おいしいものから食べるということが多い。出された食事は食べきれないというのがその前提にある。

 

お菓子といえば、昔学生さんにディベートを教えていたころ、よく題したテーマに「和菓子vs洋菓子」がある。そうすると時々、
「カステラは、和菓子ですか洋菓子ですか」と聞いてくる学生がいる。それは教えてもらうことじゃないと私は答える。それは相手の議論に打ち勝つための素材である。和菓子派なら昔っから日本にあるもので和菓子の一種だと主張できる。洋菓子派なら、ケーキの中はスポンジという名のカステラが大半を占めるといえばいい。

 

カステラとは何かという知識を手に入れている人は偉いのかもしれない。でも、カステラがいかにおいしいかを語る人もやっぱり偉いんじゃないかと思う。

 

戦前、陸軍の将校が、「お前たち兵隊は、一銭五厘の赤紙一枚でいくらでも集めることができる」といったという。

戦争で大量の戦死者が出るようになったのは、兵器の発達が人の命を簡単に奪えるようになったからだ。第一次世界大戦では1,600万人から2,000万人の死者が出た。戦争は避けたいという気分がナチスの台頭を許す結果になった。その結果、第二次世界大戦では5,000万人~8,500万人がなくなった。

 

戦争を避けるため、EUが生まれた。日本では戦争に対する忌避感が強くなる。要は人が死ぬことを嫌う意識が強くなった。だから第二次世界大戦以降大きな戦争は起こっていない。

 

昔は、人の命は簡単に奪われた。災害、疫病、飢饉などで人の死は日常だった。だが文明が進化するにつて人の死は珍しいものになる。戦争による人命の損傷は国家の存亡を揺るがす。そこで、AI自律融合軍という人の関与を極力排除した軍隊が生まれつつあるという。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/95009?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link

ミャンマーやタイでは軍人が大きな政治的勢力を維持している。
日本でも太平洋戦争前には軍人さんが威張っていて、大臣の任免権を盾に内閣を牛耳っていくほどの権力を握っていた。この背景には何があるのだろうか。

 

資本主義の発達によって、最初に台頭してくるのは資本家と豪族である。日本では三井や住友、薩長閥や地主層。東南アジアでは華僑や門閥に守られた人たち。彼らは、実力があるわけでなく親ガチャが幸運だったに過ぎない。少なくとも庶民からはそう見える。

 

しかし軍隊は、庶民でも参加でき、実力主義であり実際に実力のあるものが出世していく。完全に平等とは言えないがそれ以前の時代に比べれば雲泥の差である。彼らは、生まれがよいだけの無能で役立たずの連中が国家を牛耳っている現状を憂い、自分たちが政治の実権を握ってもおかしくないと考える。


日本では、5・15事件や2・26事件により軍部が政治の主導権を握ろうとしたことがあった。タイでは、国王を背景に政治の主導権を一時的に手に入れた。ミャンマーは自分たちで国家の運営に乗り出している。日本では、軍人に代わって実力主義の学閥による官僚群の成長が政治を動かすようになってきた。他の国はどうなっていくだろうか。

 

セブンイレブンの創業者、鈴木敏文さんが亡くなった。

 

今から50年も昔、私はダイエーの東京本社にいた。できたばかりのセブンイレブンへ行った。弁当やおにぎりを売っていることに気づいて、そうだよな、ここは日本だもんなとつぶやいた。

 

ダイエーではローソンを展開していたので比較のため買い物に行った。驚くことに、天井から数珠つなぎのソーセージが吊り下げられている。サラダは量り売りで販売されていた。お弁当やおにぎりはない。

後日一緒に酒を飲んだ友人に、なぜお弁当やおにぎりを売らないのかと聞いてみた。担当者に聞いてみるわ、と彼はいい、後日あれはアメリカのローソンではやっていないからだと教えられた。

 

鈴木敏文さんのモットーは「仮説から検証へ」だった。どうしたら顧客の心をつかむことができるか。仮説を立て実行に移してみてその成果を確認する。特に最近のような変化の激しい経済環境下では、理論、理屈や流行などよりも自分の手でいろいろやって確認しながら前へ進むことが重要なのではないか。