Agnus_Dei
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読後感

この世に悪人などいない。登場人物も我々も。
吉田修一は、平凡だけれども毎日を懸命に活きる人々を、
主人公の手に握られた小石に象徴する。

大きさも色も違う小石は手の中で互いに擦られ砕ける。
ほんの小さな力で互いに砕きあう。
我々は平凡な人生を懸命に活きているが、
些細なきっかけで互いに傷つけあう。

この世に被害者だけの話などない。
加害者だけの話もない。
誰かがその役割を負わねばならない。

皆、被害者になりたがっている。
充分に罰は受けたと言い訳しながら生きている。

しかし、その人もまた懸命に平凡に活きているとしたら。


人生は断崖に立っているようなものだ。
目の前には優しくも厳しい大洋が横たわっている。

灯台はそこにあるのか。

Precious

Preciousを観てきました。

全く予備知識なく見に行ったので、とってもゴージャスで、
プレシャスな映画だとばっかり思っていました。


ところがどっこい。

主人公の名前(ミドルネーム)がPrecious。

彼女の人生は、一言で言えば「不幸」。
不幸が途絶えることはありません。「常在不幸」。
A desperate situationです。

ハリウッド映画特有の明るいラストは期待してはダメ。
しかし、アカデミー賞2部門を受賞しています。


私個人は、この映画は多分にキリスト教的だと感じました。

Precious自身が、つらい現実を他人から突きつけられたときや
そういう状況に追い込まれたとき、自己防衛のために、
スターになっている自分や白人男性の彼氏を夢想し、現実逃避します。

その夢想に象徴的に出てくるシーンが、彼女がゴスペルを歌っている場面です。

ゴスペルは、God's spellの訛音。つまり、福音(エヴァンゲリオン)です。

彼女にとっての福音(好い知らせ)がなんなのか、私には分かりせん。

彼女は、学校を退学処分になり、フリースクールに通うことになります。
そこで知り合った女性教師がつらい状況に陥ったとき、彼女はこういいます。
「先生は私の光だった。その先生が光を失いそうなら、私が光となろう」
マタイによる福音書の言葉を惹起させます。


彼女にあらゆる不幸が襲い、ついに「誰も私なんか愛していない。愛なんて最悪なだけ。」
と絶望に陥ります。


そのとき、先生から「Your Baby loves you and I love you」といわれます。

また、生活保護を申請していたソーシャルワーカー(マライア・キャリー)からも
「はっきり分かっているのは、私はあなたのことが好きだってこと」ともいわれます。


愛によって人は救われるということの象徴なのか、それとも、愛を叫んでも、けして人は救われない。
そういうアンチテーゼがあるのか、私にはわかりません。

いずれにせよ、これだけ重い映画が、現在のアメリカ人に受け入れられたのだとしたら、
アメリカ社会が変わって来ている証拠かもしれません。

最後の最後まで、不幸であることには変わりません。
そして、けして他人が彼女を救うこともできません。
絶望的なストーリーです。

しかし、彼女は、前に進んでいきます。

そんな映画です。

国宝曜変天目茶碗(稲葉天目)@静嘉堂文庫


Agnus_Dei
国宝の曜変天目茶碗(稲葉天目)を静嘉堂文庫に陶芸家の友達と見に行ってきました。

どうしても一度見たかった茶碗なので、うれしかった。

実に美しい。

天目茶碗は釉薬をすさまじく厚塗りすることもはじめて知った。

曜変天目茶碗が、想像より小さく、きっと両手で持ったらすごいフィット感なんだろうと思えた。

鼈口(すっぽんぐち)といって、ちょっとくびれているフォルム。

奇跡としかいいようのない美しさ。

岩崎小弥太は、宝は私に用いずと茶の湯には使わなかったとのこと。

道具は使ってなんぼだと思うが、あの器はやっぱり使えないかも。

三菱商事の株買っておいてよかった。株主優待でただだったということより、株主通信に、この期間限定展示のことが書いてなかったら、曜変天目を見ずに死ぬところだったかも。

大げさか。

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