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よごれつちまつたかなしみに 2005/02/01

風呂で考えてました。
天邪鬼なくせに小心者なんです。


行った道を引き返せないんです。
後から来た人に「あの人道間違えたんだわ」とか
絶対思われたくないので。
後から来る人がいなくても引き返せないんです。
もしかしたら、マンションのベランダから
見ているかもしれない。
「あの人、道間違えたんだわ。そのまま行けば評判の
ケーキ屋さんがあるのに。ふふっおばかさん。」とか。

極度の自意識過剰なんですね。


幼稚園の頃、友達のお母さんが迎えにきて、
ご学友4、5人と帰ることになりました。
引込み思案の私は、ワイワイと友達がふざけ
ながら歩いているその後ろをイソイソとついて
行きました。

道程も半分に差し掛かった頃、楽しく家路に
つく幼稚園児たちの前に、まるで水を差すかの
ような犬のフン。前途洋洋の子供達の前に立ち
ふさがる犬のフン。

友人達は、幼稚園児らしいはしゃぎっぷりで、
「わぁっウンコだ!汚ねぇ!」などと興奮の
極みでした。
私もフンがあることには気づいており、はっきりと
その乾いた表面までも視認していました。

しかし、なぜか、まるでメフィストフェレスが
ファウストに永遠の命を囁くかのように、
もう一人の私がそっと私に囁いたのです。

「踏んでしまえ」

5歳児といえど、その危険な行為に伴う恐ろしい
結果責任は予知できました。

が、踏んでいたのです。迷わず。

平凡であることがもっとも困難な道である。
思考せずに「幼稚園児」をしている彼らへの
私なりのアンチテーゼでした。ウソです。


友人達は、彼らの予想していない事態に大興奮でした。
「ともくん、うんこ踏んだぁ!」

私は予期していた事態に至って冷静でした。
いや、冷静というのはウソかもしれません。

「うわっ、やっちゃった。ウンコ踏んじゃったよ。」
と激しく後悔する自分と、

「ボクがウンコ踏んだことで、みんな興奮しているぞ
ウヒヒ」
とほくそえんでいる自分がいたのです。

そのアンビバレンツな心理状態の5歳の私。
どんな表情だったのでしょうか。見てみたい。

少しも慌てない当事者(ともくん5歳)と、
友達のお母さんが仲裁に入ったこと、友人が近所で
ホントに仲良かったことから、翌日には全く尾も
引かず、「うんこまん」などとあだ名がつけられる
こともありませんでした。

もしかしたら、いわゆる愉快犯と呼ばれる人たちの気持ちが
わかるかもしれません。

もしかしたら、いわゆる汚れ芸人と呼ばれる人たちの気持ちが
わかるかもしれません。

人間とは、こういった些細な日常からも、自己存在を確認
しないと生きていけない動物なのかもしれません。





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