金曜日のコウノドリ、見ました?
切迫早産で入院になる妊婦さん
診察で心拍が確認できたくなって子宮内胎児死亡
同じ病室の妊婦さん
コウノドリで1番泣いたかも。
そのくらいいろんなことを思い出しました。
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先日、長女が15歳の誕生日を迎えたときに書いたブログ
切迫早産、そして双胎間輸血症候群で管理入院からの
25週と1日で長女の相方の心拍が止まっていたところまで書きました。
どんなに小さくても、
どんなに早産でも
2人生まれてくると、なんの根拠もなく信じていた私。
でも、現実は厳しかった…
さらに、そこからがさらに厳しい。
というか、怒涛。
まず、まあ、だいたい予想はつくけど、
一卵性の双生児、胎盤も共有してる2人なので、
亡くなった子をそのままにして、元気な子をお腹の中で育てるというのは無理。
うん、まあ、そりゃそうだ。
亡くなった子からのいろんな影響を受けて、長女もじきに弱ってくるでしょう。
じゃあ、帝王切開で亡くなった子だけ出して、長女だけ戻す…?
なんてこと、できないよね~。
うんうん、それは素人でもなんとなくわかるよ。
ということで、25週と1日。
選択の余地なく、長女もお腹から出します!緊急帝王切開!ということになります。
でもさ…
27週か28週までなんとか持たせて、
そしたらお腹の外に出してもぎりぎり赤ちゃん育てられるから。助けられるから。
って話で、安静にして、ウテメリンの動悸にも耐えてきたのに、
25週で出して…いいの?
助かるの?
育つの?って不安しかない。
でも、でも・・・出さなければ徐々に弱っていくだけ。
それはわかるんだけど、頭がついていきません。
そんな時、新生児科の先生がぞろぞろと病室にやってきて、
25週で赤ちゃんが生まれるということはどういうことか?という話をしてくれました。
どんな状態なのか?
緊急事態なので、超ざっくり大急ぎな感じではあったけど。
肺はまだ出来上がってないので、
自力呼吸はできないから、しばらくは人工呼吸器を使うこと。
当然自力でミルクやおっぱいを飲むことはできない。
ちょっとした血圧の変動で血管が切れたり、脳から出血したりする可能性があること。
他にも話があったかもしれないけど、あんまり覚えてなくて。
とにかく皮膚から血管から身体の全てがものすごく未熟なので…という話。
『25週で生まれて、なんの障害もなく、
なんの後遺症もなく元気に育つ可能性は50%以下です。
うーん…40%くらいかな。
あくまでも現在のデータとして。
その上で、産むのか、諦めるのか、よく考えてください。』って。
そのときはじめて、
え?諦めるなんて選択肢があるの???
って驚いた。
もし、諦めます。って言ってたら、その後どんな処置をしたのかは、わかりません。
私の中に諦めるという選択肢は1ミリもなかったから、それ以上何も質問していないのです。
いやー産むでしょう。
だって、お腹の中で動いてるし。
生きてるし。
産まないとかないでしょ。
産んだ後、どうなるのかはわからない。
生きられないかもしれない。
でも、今、生きてるのに、
きっと本人はこの状況もよくわからず、ふつうに生きてるのに、
勝手に諦められても知らんがな!って感じよね。なんて考えてた。
この時の先生の話の最後に、
『医療に携わる者として、生まれてきたら、元気に大きくなるように僕たちは全力を尽くします。
だから、正直頑張ってほしいという思いはあります。
だけど、これは赤ちゃんと、お父さんお母さんの一生に関わる問題だから、
産んでください!頑張りましょう!なんて僕らには安易には言えません。
だから、旦那さんとよく相談して、決めてください。』
って言われたんだよね。
そうだよね、
もしかしたら重い障害が残るかもしれない。
もしかしたら、うまく育たずに、すぐに死んでしまうまうかもしれない。
私もこれまでのような生活は送れなくなるかもしれない。
なんてことを考えてみたりしました。
最悪の状況とか、いろいろ想像してみたんだけど、
だからといって、産まない。という答えはないな。
病院から緊急連絡をもらって、
大急ぎで広島から金沢に向かってる途中の夫に連絡してみたけど、
夫も同じ意見。
なので、その後、また病室にやってきた新生児科の先生に、産みます!と伝えました。
その間、同時進行で、ものすごい勢いで緊急帝王切開に向けての準備が進められてました。
と言っても、私は泣きながら車椅子に乗ってただけで、
看護師さんが心電図やら何やら術前に必要な検査に小走りで連れて行ってくれました。
私の知らないところで、広島にいる夫やうちの両親への連絡、
夫の到着を待ってたら間に合わないから、
もろもろの説明や同意書へのサインはすべて私の父が代理でしてくれてたと思う。
この辺、あまり記憶なし。
ほぼ丸投げですね。
朝イチの診察で心拍停止が確認できてから、2時間くらいのできごとです。
覚えてるのは、長女の心拍を何回も何回も確認していたこと。
長女まで弱ってきてないか、いろんな説明や手続きが進められる中で、
かなり頻繁に心拍の確認をしていたと思います。
ああ…
なかなか話が先に進まねえ…笑。
まあ、ぼちぼちのんびりと書いていくので、
ぼちぼちお付き合いくださるとうれしいです♡
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※つづきはこちらへ。↓
生まれてしばらくは、この状態をいつも眺めたり、
ときどき手を消毒して、なでてあげるだけでした。
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